2002年1月号:情報化の新時代



 ますます不況の影が濃くなっていく中で、21世紀の2年目を迎えることとなりました。

 昨年、アメリカで起きた同時多発テロは、私にも様々なことを考えさせることになりましたが、未だに整理がつかず安易に書き記すことができません。ただ、この出来事はずっと記憶しておきたいと思います

 一方、昨年は私にとっても最悪の年でした。
 昨年中、Webの更新が滞っていたのにはその理由があります。ある必要があって論文を書いていたのです。しかし結局、それがまとまる前にその「必要」というのが消滅するという事態になりました。そのために費やした時間の代替として、多くのものを失うことにもなりました。今となっては過去の話ですが...。

 さあ、そんなことより、前を見て行くことにしましょう。

 

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 このWebPageも既に6年になろうとしています。インターネットが急速に世界に拡大し、その情報転送スピードも飛躍的に高まりました。当初は、一つの画像を見るだけでもイライラさせられるような時間を必要としていたのに、今では、10Mb近いデータをクライアントとやりとりするような環境となっています。私が特に感じている情報環境の変化は次のような点です。順不同です。

●情報伝達の同時大量化

 これには当然質的な変化も伴っています。それまでは文字情報が主体だったものが、今では画像は当然であり、場合によっては音声・動画すらも伝達されるようになっています。
 また、それに対応したデータ転送技術やプレゼンテーション技術も進んでおり、常に最新の情報が簡単で気軽にやりとりできるようになっています。
#しかし、そのくせ技術は不完全であり、簡単に表現できているようなことでもえらく苦労しないと実現できないようになっていたりするのです。こうした環境の変化はあまりありがたくないですね。(^^;

●情報環境の大衆化・分別化

 多くの人々がパソコンを使うようになり、これまで最も遅れていた役所やトンカチ屋である都市計画業界でもパソコンが当たり前の環境となり、成果品に対する注文も随分細かくなりました。情報環境の大衆化とは、内容よりも表現の仕方が問題とされることのようです。
#つまり内容より、どうでも良いとしか思われない表現に関する事項が多くなったのです。これも時代でしょうか?(^^;

 また、携帯電話・PDS等モバイル環境も進化し、それらの使い分けの環境が進みつつあります。このWebは当初は遅い情報伝達速度に対応するために、軽い簡潔な表現を心がけていましたが、今はそのままでモバイル環境にも対応できるようになっています。いくらブロードバンドの時代と言っても、ネットサーフィンするのに、その度に少しでも時間を待たされるのは私はゴメンです。このWebPageがやや旧式とも思えるデザインを継続しているのは、モバイルにも対応していくためでもあります。

●インターネットの図書館化

 好むと好まざるとに拘わらず、これまで私たちの仕事の多くを占めていた情報の収集・分析・整理部分が、インターネットの図書館化により縮小されつつあります。ちょっと検索すれば、必要な情報が文字であれ、画像であれ、音楽であれ、簡単に入手できますから、こうした情報収集と成果のとりまとめは、実は結構な時間と技術を要するにも拘わらず軽んじられがちになります。

 こうした動向に、私たち業界の環境がさらに追い打ちをかけているかのようです。つまり、時代の変化の中で、これまで蓄積した資料の相対的な価値が低下している一方で、計画に割ける経費も乏しいことから、お手軽に答え・結論だけを求める風潮が高まっているように思えます。
#しかし、その割には現実のものにならないのです。これも時代ですね。

●不定形なネットワーク化

 これらの事は、仕事をする上でも、様々なネットワーク化を促しました。ML(Mailing-List)を掲げても良いでしょうが、それ以上に、日常的に仕事のデータがネット上を行き来していることを考えれば、固定的な「組織」でなくでも十分仕事ができること、賃料の高い東京でなくても十分仕事ができる時代になっていることを思い知らされます。地元の企業、形式的な組織等、そんなことを求めているのは、旧式のお役所くらいのものでしょう。
 私がここで「不定形」と呼ぶ意味は、ネットワーク化が既存の「融通の利かない組織」と対極にあるものだと思っているからですが、こうした不定形なネットワーク化の進展は、今後の私たちの仕事環境を大きく変えることになるだろうと思っています。

●情報価値の低下

 これは蛇足です。
 こうしてみると情報化とは実は情報価値の低下に他ならないとも思えます。最近のテレビコマーシャルの殆どが現実感から遠ざかっているのを見るように、「情報」がますます感動の薄いものになっていますし、反乱する情報の中で、情報の的確な判別ができないまま重要な情報が見過ごされているように思われます。
 情報技術はいくら高めていってもそれ自体で評価されることは基本的にはありません。なぜなら受け取る立場の人々が情報の価値を認識できないからです。
 このようなことを、私は「情報価値の低下」と呼びたいと思います。

 

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 こうした環境の中で、私たちの業界も質的変化を遂げつつあります。具体的な「まちづくり」ではなく、まちづくりに関する「情報提供」さらに言えば「情報編集」が仕事になりつつあると言ったら言い過ぎでしょうか?
 思いつくところから言えば、「まちづくりに関する各種学会・協会等の乱立」「市民参加のまちづくりに関する各種催し」「ISO審査組織」等々、いくらでも掲げることはできるのではないでしょうか?
 まちづくりそのものへのニーズが低下している中で、ありあまる情報を適度に編集しつつ、既成の業界・体制の維持を図ろうとしていること、これを私は、「まちづくり」から「まちづくり業」への変化と呼んでいます。

 かって、私は講演で、計画には3種の計画があると言ったことがあります。「実施するための計画」、「時間稼ぎのための計画(「何もしていないことを隠すための計画」とでも言えましょうか?さすがにこれはちょっと言い過ぎですね(^_^))」、「これで終わりにするための計画」です。残念ながら、今求められているのは、後の2者でしょう。最後であればまだ目的が明確なだけ救われますが....。

 となると重要になるのは、自分がどこで生きていくのか、ということです。
 私が希望するのは、あくまでも「まちづくり」で生きていくことですが、そのためには、情報編集が必要とされるなら誰よりも素早く的確に処理する能力を持つことで、本来のまちづくりにする力を注ぐことしかありません。
#情報技術は、あくまでも必要な仕事を手早く高度に仕上げるために技術でしかありません。

 そして、限られた時間を、組織・体制を維持するために費やすのではなく、ただ仕事を得るだけのために過当競争の消耗世界に身を置かないことを覚悟するしかないように思います。

 そのための仕事の仕方、体制づくりを、とりあえず今年の私のテーマとしたいと考えています。

 

2001年12月末日 賀状を出し終えて、自宅にて

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