1996年10月:Internetと情報
先月のぼやき号は、実は、プロポーザル・コンペ応募中に抱いた感想でもあったのですが、無事獲得できたので今はいい気分です。もう先月のことは忘れましょう。
この欄も、面白かったと言っていただける方がいましたので、何とか継続していこうかという気分になっています。ありがとうございました。
そろそろ何かテーマを持って書いていこうかという気分になりつつあります。毎回、いろいろな分野にわたっていた方が面白いかと思いますし、あまり建て前ばかりでは面白くないので、ここでは本音を多少入れ込みながら(全部入れてしまうと仕事がなくなります?)、書いていきたいと思います。
まず、今回の出来事を書いてみたいと思います。つまり「インターネットの情報はどのように扱われるべきでしょうか?」ということに関してです。
私のホームページが日経アーキテクチャーに紹介されることにより多くの人々にアクセスしていただくことができました(予想したほどアクセスがなかったことも確かなのですが、私が予想するほど世の中にインターネットが浸透していないのかもしれません)。しかし、ここで困った問題が起こりました。プロジェクトの紹介としてアップしていた内容が公になることにより、プロジェクトのクライアント側としてはとしては「困ること」となってしまったのです(当然のことでもあるのですが)。しばらくプロジェクトの概要紹介のページを閉じていたのはそうした理由によります。
私自身は、(あちこちでそうした雰囲気が感じられるかと思いますが)インターネット情報は、公的なものではあるのですが、重要なのは個別情報の蓄積であるとともに私的な情報の蓄積でもあると考えたかったのです。つまり、企業情報が公式的な顔をして公開されるだけでは面白くないので、パソコン通信の延長的に、書いている人の人間性が感じられるようなホームページに少しでも近づけたかったのです。それであまりおおぴらにはしていなかったつもりですし、ましてや突然雑誌で紹介されるなどということは予想もしていなかったのです。
今回の出来事に関して、2つの側面が重要であると思いますので、その点に関して書いてみたいと思います。一つは、インターネットに掲載できる情報はどのようなものか、2つめは、インターネットの情報はいかに扱われるべきか、です。
私自身の気持ちとしては、せめて掲載する場合には了解を得て欲しかったのですがそうしてもらえなかったこと、そして、紹介については、表紙の部分はともかくその内容を写真に載せるなどして紹介することはして欲しくなかったということがあります。
そうしたことから、インターネットのリンクまたは紹介、図版等の扱いはどのように行われるべきかを考えてみたいと思います。
ア)パブリック性
情報提供手段が公的なものであるか、という判断です。つまり、電話・手紙等極めて私的な情報〜マスコミの幅の中での情報手段の特性の違いをどう考えるか、ということです。インターネットの性格とすれば、誰でも見ることが可能という意味ではマスコミ手段に近いのですが、格別の意図を持たないと見ることができないという意味では、パソコン通信に近い手段だと考えて良いでしょう。従来の雑誌等とは異なる論理があってしかるべきです。
イ)情報内容のパブリック性
提供される情報自身の持つ特性としてのパブリック性です。公的に提供しても良い内容かどうかの判断が必要となりますが、今回の私の場合には、クライアントとすればそうでないと判断されても仕方ないと考えており、やはり私の不注意かもしれません。しかし、一方で、もともとすでに報告書としてまとめられているものであること、「絵」として扱っているにすぎないものであること等から業務内容の一部紹介くらいには使用させてもらってもよいのではないかと判断したものですがもともと反論できる性格のものではありません。
完全公開と判断できない情報に関しては、少なくとも(あまり楽しくはありませんが)匿名化やモザイク化を施すべきだったと反省しています(正確にいえばそれでも可能かどうか私には判断できません)。
こうした視点から考えてみると、著作権という視点からは、インターネットの情報はどのように判断すべきでしょうか(ただ、最初に断っておきたいのですが、ここでは、著作権についての法的な議論をするつもりはありません。あくまでも、インターネットの中で情報はどのように扱われるべきかを論じてみたいだけのことです。)?
インターネットの情報は、基本的には誰でも簡単にダウンロードできます。また、ブラウザソフトもそれを前提として作成されているのです。したがって、インターネット上の情報は、全て簡単に個人のパソコン内にとりこめる性格のものであるということになります。これまで、これほど安易に自分のものとして扱いうる情報提供手段があったでしょうか?
様々なホームページの中で、アイコンやバックグラウンドのパターン等、あちこちから気に入ったものを取り寄せて作成しているのを見つけるのはそう難しいことではありません。
つまり、インターネットは、様々な情報手段の中でも最も著作権があいまいになりやすいものであり、現実的にもそうなっていると言えましょう。私自身は、著作権法を持ち出しても空しい世界がインターネットであると考えるしかないと思っています。
蛇足ではありますが、そのような情報手段を別手段(今回は雑誌)で紹介する場合には、雑誌の世界での論理で扱われるべきではないでしょうか?私が、一言断って欲しかったこと、掲載する場合には表紙となるページにして欲しかったというのはここに書いたような意味なのです。
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