1997年1月号:地球と文明(続き)
一応、新年を迎えるに際して、1996年における国内10大ニュースを記憶しておきたいと思います(共同通信社の加盟・契約社の編集・報道責任者の投票による)。
通例であれば、年頭の挨拶などを書くべき場面かもしれませんが、大したことがあるわけではないのでそれは省略します(最大の理由が時間がないからだったりして(^^))。
ただ、情報に関連しては、昨年一応のレベルまで進んだプレゼンテーションの技法を、今年は、それを現場へ持ち運んでできるようにしたいと考えています。そのために、LaptopのWindows機を購入してMacで使用しているソフトを導入し、現在、相互の互換性を確かめているところです。使い勝手やデザイン方面では、はるかにMacの方が優れているにも係わらず、携帯性や価格面でWoindows機を使わなければならないのはしゃくですが......。
電子機器を使用してのプレゼンテーションは、実際に使用する場面では何があるかわかりません。ちょっとしたことでプレゼンテーションが不可能になってしまうことが多いのです。そんなことになったら格好悪いったらありませんよね。そのためには、安全確実な方法(昨年使用したものでは、デジタルカメラの中にデータを入れていってテレビを使いながらプレゼンテーションする方法です。この程度であればどこでも可能です(ですがやはりテレビ画面ではちょっと物足りません)。
しかし、パソコンデータを直接プレゼンテーションするのは、なかなか大変です。当面は、テレビ画面を使用してのプレゼンテーションで我慢せざるを得ないと思いますが、近い内にプロジェクターを購入したいとも考えています。どうせなら高精細にしたいですよね(^^)。でもこれがまだまだ実に高いんだなぁ。
前号では、全面的に「神々の指紋」への精神的共感を書きましたが、実際には疑問点もないわけではありません。最も大きな点は「エネルギー」に関してです。
皆さんもご存じのように、文明の発達にはエネルギーを抜きに語ることはできません。ギリシャや地中海の諸都市の景観がもともと緑の乏しい景観だったわけではないこともわかっていますし、ローマ帝国の滅亡の一因に木材資源の枯渇を掲げる人もいるくらいです。
私たちの文明の発達も、木材〜石炭〜石油〜原子力等様々なエネルギーの開発に伴って発達してきていることは改めて言うまでもありません。とすれば、紀元前1万年以上前の文明が現在とあまり違わないレベルであったとするならば、彼らの使用していたエネルギーは一体なんだったのでしょうか?彼らほどの文明水準であれば、木材だけで支えることは不可能だったのではないかと考えるからです。かといって、石炭や石油を使用していたようにも思えません。もし彼らが、自由に石炭や石油を利用していれば、エジプトやメソポタミア文明の時代に「燃える石」「燃える水」として扱われるような状況で地上に露出してはいなかったように思います(少なくともその時代にエジプトやメソポタミア文明の地域は氷河の覆われてはいなかった筈なんですから)。
この点では、「神々の指紋」について疑問を感じざるを得ないのです。
翻ってこのことから人類の将来を考えてみたいと思います。
すでに、私たちの時代には、地表部の身近なところには石炭・石油が存在しません。極めて高度な技術によってこうしたエネルギーが採掘され加工されているのは皆さんも知るとおりです。「神々の指紋」でいうような大きな異変がもし起きるとすれば、こうしたエネルギーはその後の人類にとってはるかに手の届かないところにあるに違いありません。少なくとも、「燃える石」や「燃える水」のような場所にはない筈です。「神々の指紋」から約1万2千年で現在の文明に到達したとすれば、後世の人類が、現在と同等のレベルに到達するには一体どのくらいの年月を必要とすればよいのか見当がつきません。
エネルギーだけではありません。今私たちの生活に係る殆どの物質が地上から採掘されていますが、それらの大半が地球上に廃棄物として分散され、2度と採集できない状況にあります。私たちの世界は基本的には経済原則によって動かされ、それをうまく動かしている人々によって動かされているといえますが、この原理は地球環境やましてや将来の人類の生活の面から言えば、殆ど絶望的な段階にまで進まないと変わることがないように思われてなりません。
もう、すでに私たちは、後世の人間に対して何かを残して上げられるような状況にないようにも思います。ひたすら地球に大異変が起こらないように祈りながら暮らすしかないのかもしれません。しかしそう考えて初めて、それでも楽天的に生きていくのか、環境に配慮しながら質素に生きていくことを覚悟するのか、人間の生きる姿勢が問われてくるように思います。
おかしな例えかもしれませんが、オゾン層の破壊、地球上の炭酸ガスの増大等に対して、
どういう方向を選択するのかということにもなるようです。どのような状況にあっても、これらの選択肢の巾の中に人々の考えが混在することによって、簡単に結論が出せないのが人類の宿命なのでしょう。
私たちの仕事においても、いつも同様の迷いがないわけではありません。明るい未来、楽しい生活を期待する人々に対して、それがどのような手段によって実現できるのかを考える時、夢を描くこと、現実的にできること、(本当はこう)したいこと 等のギャップに悩むことも多いのです。
正月には、6CHで、2日午後3時から世界遺産に関連した「地球の記憶」という番組が、また、3日夕方6時半から「神々の指紋」特集が放映されます。楽しみにしています。皆さんもお気づきであればちょっと見てみませんか?そして地球と文明などというテーマでもちょっと考えて見ませんか?
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