1997年7月号:技術と人間


 神戸で悲惨な事件が起きました。小学生が殺され、酒鬼薔薇と称する人間からの挑戦状が警察署に送られてくるというものでした。その殺害のされ方もショックでしたが、犯人が中学生であるということで世間は(もちろん私も驚きましたが)二重の衝撃を受ける事件でした。

 この間の、”マスコミ”の報道姿勢や、それに引きずり出されていい加減なコメントをする”専門家”という人々には腹が立つことが多いですよね!(といって同調を求める)。多少歳をとってきたということかなぁ。

 随分大げさなタイトルをつけてしまいました(^^;。ですが、その意図は毎度のように大したことないんです。「人間というものは本当にしょうもないもんだな?」って、皆さん思ったことありませんか?よく、すばらしい技術が開発されますが、それを駄目にしているのが大抵の場合人間だってことに気がつくことってありませんか?

 いくつか書いてみましょう。

 つまり私は「どれほど技術が進歩しようと、それを扱う人間の側に問題がないということはありえない」と考えています。となると、私たちの技術は「そういった人間サイドのリスクを最初から組み込んで、十分な対策も含めて開発を進めるか」、「どのような対策を施そうと、完全に安全であることは決してない」と考えて進めるしか方法はありません。

 話を先に進めるためにさらに飛躍しますが、環境問題を考えたりすると、フロンやダイオキシン等、様々な環境汚染物質等ばかりでなく、私たちの身近な生活環境を汚しているペットボトルや空き缶等を考えてみても、それらの最終的な行き先を考えてみれば、安易に便利だからというだけでものごとを進められないということがよくわかります。しかし、生産者側の言い方は常に「消費者が求めているから」ということです。本当は私たちはそういったものを求めているんでしょうか?昔のようにビンで交換したり、水筒を持ち歩くんではだめなんでしょうか?また、回収のための費用を最初から上乗せした価格設定になぜならないんでしょうか?生産者サイドのそうした言い方に対抗していくためには、私たちがそれを買わないようにするしかないんですが、それができる人々はどれほどいるんでしょうか?
 いずれにしても、人間の問題がもう少し少ないだけで、もっとずっと快適に効率的に生活できるだろうと思うんですが.....。

 これからの人間社会は、自らに厳しくしないと生き残っていけない時代になるのは確実なんですが、どのようにそういう世界に推移して行くんでしょうか?

 そろそろ皆さんも考えるようにしていきませんか?せめて身の回りの問題からでも........。

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