1997年10月号:低成長時代のまちづくり




 しばらくご無沙汰してしまいました。その間にも、世の中には様々な動きがありました。
 香港が中国に返還されたのは、前号をアップした前後だと思います(7月1日)。中国は1国2制度の国になったわけですが、香港は今後どのように変わっていくのでしょうか?そして中国は…?。
 イギリスの元皇太子妃ダイアナさんが、パリにてパパラッチに追われて交通事故死を遂げました(8月1日)。
 アラスカの森林が、2度程度の気温の変化のために害虫が大発生し、死の森が広がっているというニュースや、インドネシアの森林火災による煙害被害の話など、地球環境の問題が急速に身近になっているように思います。おりしも、京都で12月に開かれる温暖化防止国際会議に向けて各国の議論が活発になっています。以前、大学院時代には環境問題やエコロジカルな土地利用計画のあり方に少なからず関心を持っていたんですが、その頃から、最後の環境汚染といわれていた熱汚染=地球の温暖化が、正直いってこれほど身近に迫って来るとは思っていませんでした。
 この問題には、いつかまた触れてみたいと思いますが、今はもう少しさしせまった身近な問題にしておきます。

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 いつもいつもタイトルばかり大げさで恥ずかしいですね(^^;。
 この2ヶ月ばかりは、新しい仕事への対応に追われていました。これまで幸いに、仕事をとるために動くという意識はあまり持たないでやってこれたんですが、このような経済環境の中では、そう悠長なことを言っていられなくなったようです。私のところも「仕事を確保する」ということを真剣に考えざるをえなくなってしまったようです。
 しかし、私たちの仕事が厳しくなってきた本当の背景は経済環境にあるのではなく、人口問題のところでもちょっと書いたように、もっと構造的なところにあるわけです。そうした状況の中で、これから期待されるまちづくりコンサルタント活用の方向について書いてみたいと思います。いつも体系的に整理できないまま書いているのは心苦しいのですが、これがインターネットの良いところと思って、気楽に読んで下さい。

 なお、この文章は、一般向けに書いたつもりですが、性格上、やや役所の方々向けになっていることをお断りしておきます。

 

 私たちの仕事が厳しさを増しているのは、直接的には自治体の財政が厳しさを増していることに起因しています。その背景には減速経済がありますが、長期的な見通しとしては、建設省廃止の議論があるように、国の公共投資削減の方向があり、さらにそれらの根底にあるのが、都市への集中が極限にまで進行した人口分布、間近に控えたわが国の人口減少の時代・高齢化社会の時代の到来にあるのは皆さんもご承知のとおりです。
 今まで、活発な歩みを続けてきた我が業界も、いよいよ「冬の時代」の到来でしょうか?

 一方、国際化の進行の中で、国としては、各種の都市計画関連情報の蓄積を進めようとする動きを見せており、同時にコンサルタントの整理を進めようとしているようです。都市づくり・まちづくりに関するコンサルタント等の国際的な競合の中で、世界に通用する企業を育てようという意図は分からないわけではありませんが、一律に企業体を優先させる方向には疑問を感じざるをえません。
 今や、わが国には、潤沢な予算をもって地域づくり・まちづくりを進められるところはどこにもありません。そういう時代に本当に求められるコンサルタントはどういうものなのでしょうか?そこをまちづくりを進める人々に考えていただきたいのです。

 これからのまちづくりに求められる体制として明らかなのは、

ということではないかと思います。今後は、今までのように十分な費用をかけられないことを前提に、今まで以上にまちづくりの専門家が必要とされる時代にふさわしい体制づくりを進めるべきでしょう。そのための重要な回答が「十分なノウハウ」と「情報の活用」であると言いたいわけです。

1)十分なノウハウとは?

 大手といわれるシンクタンクやコンサルタントは、お互いの競争の激しい中で仕事を獲得していかなければならない環境にあります。そのために彼らは、営業部隊を抱え、一方では、組織の継続のために若手を育てていくことが求められているわけです。当然、仕事の進め方も、十分なノウハウのない中堅が仕事をとりまとめていくことになり、非効率・不十分な成果という結果となってもやむを得ないことになります。また、仕事を発注する方もそれで良いと思っているとしか考えようがありません。もともと仕事の発注形態が競争入札なんですから....。
 このところは重要です。オンブズマンも単にお金の流れや額の妥当さををみるだけでなく、仕事の成果と費用の関係を良く理解して欲しいところです。

 成果・内容こそが評価の軸となるべき仕事が何故競争入札で決定されなければならないんでしょう(残念ながら、適切なコンサルタントが選択できない環境だからこそ、どこかに登録されたコンサルタントなら安心だ、などという方式が進む背景でもあるのですが....。ただ、それでは問題は解決できないということです)?
 前置きが少し長くなりましたが、十分なノウハウとは、以下の点にあると考えます。

●依頼者に的確な回答が出せる
 ともするとまちづくりの専門家は、専門家であることを主張しますが、まちづくりには様々な分野に関する幅広い知識が要求されます。そのために、的確な回答が出せるようになるためには長年にわたる経験が必要になります。また、専門分野にとらわれる人は話を自分の専門分野に引き込んで話をする傾向があり、まちづくりのニーズに対する感覚が鈍いことも多々あります。それまでの経験が専門分野に偏っていることは、むしろ複雑なまちづくりの問題に対応するのは困難だといっても良いほどです。
 依頼者に的確な回答を出していくことは仕事を受けるものの責任ですが、むしろ依頼者の言うことを越えて問題・課題を整理し、依頼者の予想を越えた回答を出しうる人間が十分なノウハウを持つといえるんじゃないでしょうか?十分なノウハウを持つということは、求められることに応える以上の回答を用意できる必要があるでしょう。

●状況を判断しつつ、起こりうる事態を予測しながら先行的に仕事ができる
 私たちからみれば明らかに起こるべくして起こっている問題、ちょっと手を打っておけば避けられた問題についても、状況を判断できない人々は、いつも問題が起こってからの対応になります。大抵の場合、仕事を発注する人々も仕事を受ける方も、やむを得なかった問題として対応しているわけです。つまり、何年もかけて仕事をしてきて大変だった、と言いたいわけですが、まちづくりの十分なノウハウがあれば、最短の期間で、なおかつ十分な成果を上げることは可能です。そうしたところは現実には十分評価された試しがありません。必要な経験を十分積んだ目から見ると、調査のための調査になっているようなことも、当事者からすれば必要な調査だったということになるわけです。
 このように起こるであろうことを予測でき、それに先行的に対応できるノウハウは、問題を与えられてから発想していくような体制の中からは育ちません。つまり、仕事をしながら人を育てていかなければならないような体制や、仕事をとるための人を専門に抱えている企業は、もちろん全部とはいいませんが、今後のますます複雑化する社会の中で、上記のような「まちづくりのノウハウ」を生かした仕事をするのには不適切であると断言してもいいでしょう。なぜなら、大抵の組織は、仕事を次年度も継続していくことの方が重要であり、自ら結論を早期に出すより、発注者の意向にほどほどに応える程度に仕事をしていけば十分なんですから(ちょっと言い過ぎのところは許して下さいね)。
 営業組織を持たない、仕事の成果が評価されて次の仕事につながっていくしかない私たちのようなコンサルタントは、全く異なった仕事の仕方をします。

 あなたが仕事の発注者だとすれば、どちらを求めますか?
 仕事の成果は問わない。上司に説明しやすいコンサルタントを選択したければ、大手企業をお勧めします。しかし、その成果についてトップからお目玉をくらった.....という話はいくらでも聞きます。
 どうしても仕事を成功させたい。効率的に進めたい、手抜きはして欲しくない。ということであれば、私たちを考慮に入れてもらった方がいいでしょう。しかしそのためには、規則づくめではない発注の方法を工夫していただく必要があるかもしれません。

2)情報化とは?

 ひと頃、「情報武装(私は好きになれない言葉ですが)」という言葉が、情報系コンサルタントの中で使われたことがあります。そんな大げさなものではないんです。但し、ちょっとはずせない問題があります。
 私の言いたい情報化とは、単に

 情報の十分な活用は、仕事をするメンバー全員が同レベルでパソコンを駆使することにより全体として高度な作業を展開でき、また特殊な成果を要求する場合であっても必ず適切なソフトを使える人間が育っていることが望まれます。また、そうでなければ外部の人々とネットワーク化を図っていく場合にも、十分なネットワークが期待できません。
 最近は、仕事の成果をフロッピーで提出することを求められるケースが多くなりました(私たちの仕事ではMOまたはCDの納品になるでしょうが)。しかし、本当に情報を生かしていくためには、発注者が情報を活用できる環境になければいけないんですが、残念ですが、現段階ではどこの役所も不十分だといって良いでしょう。しかも、正直言って今後もあまり期待できる状況にはありません。情報の活用が十分行われるようになるためには、世代交代を待たねばならないようです(そんな状況だからこそ、まだまだ多くのコンサルタントの仕事があるんでしょうね)。
 現実のまちづくり計画業務の中では、本当の意味での情報活用は不十分ですが、情報の適切な活用は十分効果があることは明らかです。ただ、現実がそこまで進んでいないだけです。

 私たちのチームで進めている情報化の効果の一端をご紹介しておきたいと思います。

●仕事をデジタル化することによる効果
 社内的な効果は別にして、発注者としても、どのような仕事の成果になるのかは常に確認しておきたいところしょうが、DTP(デスクトップパブリシング)での作業は、それが簡単に可能になります。打ち合わせ結果はすぐに印刷作業にかかれる状態にあります。途中の修正も、結果を予想しながら随時行っていけばいいわけです。


●デジタルデータの活用
 現在、多くの都市で各種データをデジタル化するようになっています。しかし、大抵の場合、それらは大型コンピュータを使う会社の都合でしか動かせないようになっています。新しい分析や成果をアウトプットしてもらうために、その度に費用と時間がかかる、なんていうのはそうした例です。
 デジタルデータで重要なのは、データが計画的視点で十分使えるものになっているかどうかにあります。私たちは、まず彼らに、基礎データそのものをある条件でアウトプットしてもらって、それを計画的視点で活用していく方法を採用します。

●各種専門家のネットワーク化
 私自身、情報を扱うことは趣味みたいなところがあります。最近は、やや面倒な面も意識していますが、ただ、世の中の方向としてそれが必然であるなら、私は、その先端を走っていたいと思っています。
 そうした私ですから、情報に強い人々がまわりに沢山いますし、そうした人々からこれまでも多くの情報を得、また仕事の面でも助けていただきました。こうした人脈は、この仕事の分野において、他の人々にはない私の財産だと思っています。
 現在のところ、各方面の専門家は情報環境に疎い人も多いので思うようにいかないところもありますが、今後ますます専門家のネットワーク化はおもしろい時代になっていくでしょう。

3)今後のまちづくりに必要なこと

 地方の自治体は、大抵の場合厳しい財政の中で余剰人員を抱えています。そうした中で将来に向けて着実に手を打っているところでは情報化を戦略的に進めています。それが確実に効率的な行政をつくる手段であるからです。また、職員の中でもパソコン使用者が増えており、近い将来情報ネットワークの中で仕事が進められることは確実です。
 こうした状況にあって重要なのは、「まちづくりのノウハウをいかに蓄積していくか」です。
 調査のための調査を行うのであれば、どこかの報告書のものまねで進めることはできるかもしれません。しかし、異動を前提とする自治体の仕事環境では、本当に必要な、具体的にまちづくりを動かしていくための力を持つ専門家を育てることはできません。しかも、憂慮すべき状況として、財政危機だから「下手に動かない方がいいんだ」という意識が蔓延しかねない状況があります。それを回避し、少しでも前向きにまちづくりを進めていくためには、まちづくりの専門家との接触は必要であり、そうした中でまちづくりのノウハウを行政の中に蓄積していくことが必要だと考えます。
 そのためには、従来のように「専門家に総ておまかせ」的な調査委託ではなく、自らも考え、必要な仕事を行っていく仕事の進め方が求められます。コンサルタントも、職員と一緒に考え、考える職員を育てていくような作業の進め方が必要になるでしょう。私自身そのように進めたいと考えています。

 また、近年、市民参加または市民参画ということがよく言われますが、私がいつも考えるのは「何を求めて市民参加を進めるか」ということです。基本的には、単に市民への周知や市民の意見を伺うレベルから、ワークショップ形式で市民と一緒に計画づくりを進める、さらに計画づくりを通して計画実施の責任の一端をになってもらうといったレベルまで様々です。
 問題なのは、これらを十分整理しないまま、「市民参加」の時代だからそうせざるを得ない、「そうすることが必要だからする」ということで、何か儀式のようにそれが行われていることがままあるからです。そういえば「赤信号、みんなで渡れば恐くない」という言葉がありましたね。市民参加で進めたものは責任をとる必要がないと考えているわけでもないでしょうが…。
 まちづくりの専門家には「市民参加」で何が求められているのでしょうか?あるいは、市民参加のまちづくりの中では、市民と一緒に考え活動する人さえいれば、もはや専門家は不要なのでしょうか?私にはそうは思えません。私たちは、求められる仕事に精一杯応えるべく行動しますが、こうした課題を整理した上で臨みたいものです。
 また、まちづくりの専門家としてのコンサルタントでありたいとすれば、単に「市民参加で進めます」ということを標榜する仕事の進め方には慎重でありたいと思いますし、自治体の方々にもそれを中心とする仕事の発注には十分な検討を期待したいものです。だって、住民参加は重要なことですが、あくまでも手段であることには間違いありませんし、住民の方々からすれば、コンサルタントを相手にするより、職員自ら出てきてもらう方がどれほどかうれしいことでしょう。また、それでこそ行政に対する信頼が高まるというものです。



 本当のノウハウを必要とする社会、そのノウハウをきちんと評価してもらえる社会であって欲しいものだというのは、どんな専門家社会でも同じでしょうが、今後、ますますむずかしくなっていくんでしょうね。
 どうも大多数の人々は、そういった厳しい判断を必要とする環境より、人と同程度の苦労であたりさわりなく暮らしていける環境の方を好むようですからね。

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