1日目:2007年4月24日(火) (成田〜高尾) 曇り

はじめに  1)成田〜高尾へ  2)高尾〜台南(台中泊)  3)台中〜台北(台北泊)  4)台北〜九分(台北泊)  5)台北〜帰国  6)まとめ

「風景画の部屋」へ   
台湾旅行の風景画

 

◆自宅発

 戸塚09:37〜エアポート成田(成田空港行)〜10:57千葉11:00〜11:30成田11:31〜11:42成田空港

 途中1万円を換金(台湾ドル=420円の換金率で、合計2400元)

しかし、高雄到着後、添乗員による換金では2720元だった。断然、成田は高い。

12:15 成田空港第2旅客ターミナル、第2カウンター 52番にて切符を受け取り

13:00 出国ゲートへ〜そこで軽い昼食

13:30 搭乗口へ

 

◆成田発

14:15 チャイナエアライン航空(中華航空)CI017便で台北へ(約3時間半)(実際には30分ほど遅延)

15:10 機内食(夕食)なかなかおいしかった。しかも飲み物のサービスが良い。

16:27 入国カード記入

16:45 台北(桃園国際空港)着(時差1時間)(30分遅延)

 ここで乗り継ぎ

18:00 台北発 CI195便(やはり30分の遅れ)

 ちょっと乗換えがややこしかったせいかここで、乗り遅れた人が何人かいたらしい。

19:45 機内でスナック

19:55 途中、大都市の光が見える(どうやらこれが高雄だったらしい。)。高雄は雨だという放送があったが、もしかしたら良い天気になるかも。

 

高尾

18:55 高雄着 バスにてホテルへ向かう。

 以下は、車中の添乗員の話を中心として。

 台湾では右側通行、車優先だから要注意、交通安全が大切。野良犬にも触らないこと。地下鉄はガム禁止、道路ではつば吐き禁止、生水(硬水)飲用禁止、時差は1時間(遅れ)、ホテル内ではスーツケースは自分で室内に運ぶこと(運ばせるとチップ50元)、チップ(枕銭)は不要。

20:14 高雄の愛河を通過。ホテル着 ホテルキングダム(華王大飯店)07-5518211

 明朝06:30〜朝食、MC7時、ホテル発8時半、2516号室(5階の6号室)

 このホテルは愛河まで歩いて3分ほどの位置にあった。何とホテルの真ん前に、23階建てのビルが工事途中のまま放置されていた。

 ホテルに着いた後、愛河の夜景を撮影にでかけた。

 

22:00 就寝

 TVでは、日本語放送だけではなく、日本語放送の台湾語吹き替えの番組もいくつかあったような記憶が‥。

続き 


☆台湾 たいわん/タイワン

中国大陸南東方,台湾海峡を隔てて⇒福建省に対する島。⇒澎湖ほうこ島,⇒蘭嶼らん

しょなどの属島を含む。国民党政府の統治下にあるが,中華人民共和国では〈台湾省〉

と位置づけている。古名は流求,瑠求。日本では高山こうざん国,高砂たかさご国と称

した。英語名Formosaはポルトガル語の〈美しい島〉に由来する。主都は⇒台北。3万

〔1624〜1662〕

5961km2。2115万人(1994)。

 ・現在人口は2300万人とか。

〔自然・産業〕 先住民は⇒高山族。人口の90%は漢族系。地形は狭長で,東に高く西に

低い。⇒台湾山脈が脊梁せきりょう山脈をなし,南北に走る。主峰は⇒玉山(新高山)。

東岸は絶壁をなし良港に乏しく,西部には沖積層平野が広がる。北半は亜熱帯性,南半

は熱帯性気候で,雨量が多く,米・サトウキビ・茶・バナナ・パイナップルなどの農産のほ

か,木材・樟脳しょうのうの林産,製塩・漁業の水産がある。電子部品・電気製品・機械・化

学などの近代工業も盛んで,アジア⇒NIEs(新興工業経済群)の一つとして,目ざましい

経済成長を見せている。

〔歴史〕 7世紀初め,隋の⇒煬帝ようだいが征伐した流求が台湾と考えられ,中国との

交渉は17世紀に海寇かいこうが接触をもつようになってから生じた。同じころ,スペイ

ン人,オランダ人が西海岸の要地を占領したが,のちオランダ人が独占して,⇒オランダ

東インド会社の拠点とした。1661年⇒鄭成功ていせいこうがオランダ人を下して支配

したが,1683年以後⇒清朝の版図に入った。中国からは福建・広東省の住民が多く移住

し,先住民を山地に圧迫して経済権を確立し,1885年台湾省を設置した。日清戦争後の

⇒下関条約によって日本に割譲され,日本は交通・産業を開発し,南方の大拠点としたが

,第2次大戦後1945年11月に⇒中国国民党政府軍が進駐,中国に復帰した。日本統治時代

にも1895年から5年間にわたる台湾独立運動があり,1930年には⇒霧社むしゃ事件が起

こった。1947年2月には国民党政府の失政により島民の反乱(二・二八蜂起)が発生した

。国共内戦後,国民党政府は本土を失って1949年12月台北に移転し,全島を統治,米国の

東南アジア政策の一環として重要な基地となった。1975年⇒蒋介石総統の死により厳

家淦副総統が昇格したが,1978年蒋介石の長男⇒蒋経国が総統に就任,経済立国を目ざ

して経済建設計画を進めた。1988年蒋経国の死後⇒李登輝があとを継いだ。1996年李

総統は初の総統直接選挙で3選された。この間1986年には台湾ナショナリズムを掲げる

民主進歩党(⇒民進党)が結成され,最大の野党として動向が注目されている。一方,国

民党政権は1987年秋から台湾住民の大陸訪問を解禁し,以来海峡両岸の経済・貿易関係

は急速に発展している。なお,中華人民共和国が国連の代表権を得たため1972年国連か

ら脱退,1979年米国とも断交し,1996年8月現在台湾が外交関係をもつ国は30,アジアで

の承認国はない。

 

☆ 鄭成功 ていせいこう

中国,明朝の遺臣。父は⇒鄭芝竜,母は日本人で平戸で生まれた。明朝再興を図って清

に抗戦,明王室の朱姓をうけて国姓爺こくせんやと呼ばれた。父が清に降った後も抗戦

継続,1661年オランダ人を駆逐して台湾を占領した。⇒国性爺合戦

 

☆ 蒋介石 しょうかいせき/チャンチェシー

〔1887〜1975〕

中国の軍人,政治家。⇒中華民国総統。浙江省の人。⇒四大家族の一人。1907年日本の

陸軍士官学校に留学。⇒浙江財閥の政治的代表者陳其美ちんきびや⇒孫文と接し⇒中

国同盟会に入る。⇒辛亥しんがい革命に参加した。1922年広東軍政府に加わり,翌年大

本営参謀長となり,ソ連視察。1924年⇒黄埔軍官学校長。孫文の死後1927年⇒宋美齢そ

うびれいと結婚し,孫文の後継者となる。反共政策を強化して⇒北伐中に⇒四・一二ク

ーデタを起こす。1928年南京政府主席となり,北伐を完成したが,以後共産党の討滅に

全力を注ぐ。内戦中の1936年⇒西安事件にあい,翌年⇒国共合作して抗日戦を遂行。戦

後の内戦に敗れ1949年末中華人民共和国の成立とともに⇒台湾に移る。大陸反攻を唱

えつづけたが,1971年台湾政府は国連議席も失った。著書《中国の命運》など。⇒蒋経

国は長子。

 

☆高雄 たかお/カオシュン

中国,台湾南西部の港市。日本語読みでは〈たかお〉。北部の基隆キールンと並称され

る良港湾都市で,台湾第2の都市。セメント,鉄鋼,船舶などの工業も盛ん。最近保税工

業地区(輸出加工区)などが建設され,加工貿易が盛んである。オランダはタンコイアと

称し,漢人は打狗港などと称したが,日本植民地時代に高雄と改称された。143万人(19

96)。

 

☆台南 たいなん/タイナン

中国,台湾南西部の都市。製糖工業の中心地。外港は⇒安平。1623年オランダ人が渡来

し,1627年安平にゼーランティア城を築き,つづいて市内のプロビンチア城を中心に貿

易・経略を行った。1661年⇒鄭成功は後者を占領,承天府と称した。清朝領有後,台湾府

が置かれた。71万人(1996)。

 

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