はじめに 1)バルセロナへ 2)バルセロナ〜バレンシア(シッチェス) 3)バレンシア〜グラナダ 4)グラナダ(アルハンブラ宮殿)〜コスタ・デ・ソル(トレモノリス) 5)コスタ・デ・ソル〜ミハス〜セビリア(サンルーカルラマヨール) 6)セビリア〜コルドバ〜マドリッド 7)マドリッド〜セビリア 8)マドリッド〜トレド〜アランフェス 9)帰国
◆08:36自宅最寄り駅〜10:42成田空港なんとか出発。
電車の中でスポーツ新聞を読んだ、松坂の大リーグ移籍と竹内結子の離婚問題が記事にあった。帰国の際どうなっているかな?
途中成田空港で、現金5万円分をチェンジ(320ユーロ)。現地ではトラベラーズチェックは殆ど使えないと思った方が良いらしい。
◆11:00 成田空港第2旅客ターミナル3F出発ロビーへ
阪急交通社の窓口へ。
搭乗券の受け取り、宅急便で送った荷物の受け取り、出国手続き。
63番搭乗口で待つ間飛行機をスケッチ。搭乗手続きを済ませて機内へ。
空は曇り。この旅、天候はあまり良くないらしいがそれを象徴しているのかも。
JALカードを忘れてしまった。もっともマイレージを使ったことはないけど‥。
この飛行機で飛び立っというたわけではありません(^^ゞ。
#まあ同じ飛行機でしたけど…。
機内に入る前にちょっとスケッチした風景です。
◆13:30 離陸(日本航空JL-411、約12時間)
離陸直後、やや揺れが激しいかも。座席は中央なので何も見えない。これからアムステルダムまで灼12時間(バルセロナまではさらに2時間)の旅。遅ればせながら必要な資料を読み始める。現地とは8時間の時差。
しばらくぶりの国際線だが、機内の設備も結構良くなっていて、席の前のディスプレイも多チャンネルを自由に選択できるようになっている。とりあえず映画でも見るかと、「パイレーツ・オブ・カリビアン」をつけた。
飛行航路説明があったが、飛行機はまず北上してシベリアに入り、ハバロフスクの上空で西方へと航路を変更し、ツンドラの上空を飛ぶらしい。以前、スペインを旅した友人がツンドラの美しさを思い出すと言っていたが、この座席ではあまり見られそうもない。
◆15:00 昼食
その後、映画「スーパーマン」、「プラダを着た悪魔」などを続けて見た。
その間、自分の旅支度のイメージ・スケッチ
◆20:42 軽食
この間、3〜4本の映画チャンネルを回し見。
◆24:00 夜食
あと1時間ほどでアムステルダムに到着との案内。
ようやくヨーロッパ気分になってきたか。そろそろ飛行機にも飽きてきた気分。
太陽が雲間に沈む風景を見ながら着陸へ。丁度町の灯が点り始める時間帯。
◆01:30 アムステルダム空港 17:30 現地時間(以後同様)
切符の受け取りと入国手続き。
空港内ですることなし。ホテルの部屋のチップは0.6〜1ユーロということなので、小銭をつくるべくジュースを買った。日本人を含めて東洋人が2〜3割ほどか。思ったより多い。
中をぶらぶらした限りではあまり意識しなかったが、大男大女の国だけあって椅子の高さが他国より高いようだ。目の前で大男が小さなPDAを太い親指でチョコチョコと扱っていたり、おまけに電話まで小さいのが身体とのバランスを欠いていてちょっとユーモラス。
#スペインでは、手洗いや小便器の高さも高かった。他の国ではこれほど意識したことはなかったが、私の気のせいだろうか?
この時期は日本人が特に多いそうで、全体の2〜3割ほどが日本人といった感じすらする。
◆21:15 アムステルダム離陸(イベリア航空:JL-5323、約2時間)
飛行機が飛び立つ頃には小雨がパラパラ(しかし、これはすぐに止んだ)。日本を出発する前に調べた天気予報では、比較的寒そうで、天候もそれほど恵まれているという感じではなかったが‥。
搭乗する祭、客室乗務員が恥ずかしげにこんにちは!と声をかけてくれたのだが、それが「こんちゃ!」と聞こえるのがちょっとおかしい。
#別れ際の「ありがとうございます」はちゃんと言えていた(^_^;)。
もうあたりは完全な夜。空から見ると、光だけでもやはり平坦な地形、人口密度の低さがわかる。それに道路パターンも格子状が見あたらないのが意外でもある。空港の近くには、サッカー場ほどの規模の行灯のような明かりがいくつも点在していたのは、チューリップ等のかき類の栽培のための温室だろうか?日本時間では4時近く。さすがに眠気が増してきた。
フランスに入ると小都市が分散している夜景。あわよくば、パリの夜景も見られるかも知れないと期待したが、衛星都市らしい光の塊は見えたが、それらしい夜景は見えずじまい。もしかしたら、右側の窓からだったら見えたのかもしれない。
地中海に出ると、やや飛行機の高度もおちてきたようだ。複雑な海岸線の美しい光が美しい。特にバルセロナの夜景(と思われるが)は、海と山の緑が漆黒の闇をつくりその中に、ビーズをまき散らしたように明かりが乱舞している。その美しさは高度が落ちてきても変わらない。東京の夜景では、巨大看板や、超高層・SC等の照明であることが明らかなのに対して、バルセロナでは、その存在をあいまいにしながら光だけが輝いているからのように思える。
◆空港からシッチェス(バルセロナの南西方向の都市)へ(約45分)
◆22:30 ホテル着
リゾートホテルとのこと。地中海岸近く。
◆24:30 就寝
ホテル;アンテマーレ,シッチェス 211号室
*スペイン Spain
◎正式名称―エスパニャ王国Reino de Espa?a/Kingdom of Spain。
◎面積―50万4782km2(バレアレス,カナリア諸島,およびセウタ,メリリャなどを含む
)。
◎人口―3921万人(1995)。
◎首都―⇒マドリードMadrid(291万人,郊外を含む,1991)。
◎住民―イベリア・ケルト系で,現在のスペイン人はカスティリャ人,ガリシア人,アン
ダルシア人,カタルニャ人,バスク人に分かれる。
◎宗教―カトリック。
◎言語―スペイン語(公用語)72%,カタルニャ語16%,ガリシア語8%,バスク語2%など
。
◎通貨―ペセタPeseta(1ドル=124.3ペセタ,1996年11月22日現在)。
◎元首―国王,フアン・カルロス1世Juan Carlos ?(1938年生れ,1975年11月即位)。
◎首相―アスナールJos?Mar?a Aznar(1953年生れ,1996年5月就任)。
◎憲法―1978年12月制定。
◎国会―二院制。上院(定員256,うち48は各自治州議会が選出,任期4年),下院(定員35
0,任期4年)。1996年3月選挙結果,上院(国民党111,社会労働党81,カタルニャ同盟8,バ
スク国民党4,その他2),下院(国民党156,社会労働党141,統一左翼21,カタルニャ同盟1
6,バスク国民党5,その他11)。
◎GNP―5253億ドル(1994)。
◎1人当りGNP―1万3280ドル(1994)。
◎農林・漁業就業者比率―8.7%(1995)。
◎平均寿命―男73歳,女81歳(1995)。
◎乳児死亡率―7.4‰(1992)。
◎識字率―85.4%(1991,10歳以上)。
* *
ヨーロッパ南西部,イベリア半島の約5分の4を占める王国。イスパニアと通称される。
フランス,ポルトガルに接し,大西洋,地中海に臨む。大西洋上の⇒カナリア諸島,地中
海の⇒バレアレス諸島,北アフリカの⇒セウタ,⇒メリリャなどを含む。
〔自然・住民〕 国土の大部分は標高600〜700mの高原で,北部に⇒ピレネー,⇒カンタブ
リア,南部に⇒シエラ・モレナ,⇒シエラ・ネバダなどの山脈が走る。最高点はシエラ・ネ
バダのムーラセーン山(3482m)。ドゥエロ(⇒ドウロ),タホ(⇒テージョ)の二大河が中
央部を横断,北東部の⇒エブロ川,南西部の⇒グアダルキビル川流域には平野が開ける
。北西部は西岸気候,東岸・南岸は⇒地中海式気候,内陸部は大陸性気候。
〔経済・産業〕 農業が主で,主要農産物は小麦,オリーブ,オレンジ,ブドウ,ジャガイモ
,テンサイ。乾燥した土地が多く,灌漑かんがいが進んでいるが,生産性は低い。ブドウ
酒の産で知られ,羊(メリノ種)の飼育が盛ん。鉄,石炭,銅,水銀,カリ塩などの鉱産に恵
まれる。⇒バルセロナを中心に繊維・機械・化学・セメント・金属工業が行われ,1964年以
後経済開発4ヵ年計画を重ね工業の飛躍を図っている。観光収入が重要な財源の一つに
なっている。1986年EC(現EU)に加盟した。
〔歴史〕 早くからギリシア人,⇒フェニキア人が植民市を建設,前3世紀末ローマの属
州となった。6―8世紀には西ゴート王国が建設され,その後長らくサラセン人(イスラ
ム教徒)の支配下におかれ,後こうウマイヤ朝(〈⇒ウマイヤ朝〉参照)時代(756年―10
31年)に最盛期を迎えた。これに対し北部スペインのキリスト教諸王国から起こった国
土回復運動(⇒レコンキスタ)は15世紀末終了し,カスティリャ女王⇒イサベル1世とア
ラゴン皇太子フェルナンド2世の結婚によってスペイン統一が実現した。その後⇒コロ
ンブスの新大陸到着をへて,アメリカ大陸に広大な植民地を獲得,⇒ハプスブルク家の
⇒フェリペ2世時代(在位1556年―1698年)には一時ポルトガルを合わせて世界的な大帝
国となった。しかし16世紀末の⇒無敵艦隊の敗北,18世紀末のアメリカ植民地の独立に
より国勢は衰退していった。19世紀初めには⇒スペイン独立戦争に勝って独立を守っ
たが,以後は内乱が頻発ひんぱつ,政治不安が続いた。20世紀前半に⇒プリモ・デ・リベ
ラの独裁を経て1931年共和制が成立したが,⇒スペイン内乱後⇒フランコの独裁政権が
出現した。1939年以来国家元首兼首相の座にあって独裁政治を行ってきたフランコは
,1969年国家元首の後継者としてブルボン家の⇒フアン・カルロス王子を指名,1973年首
相を退任した。1975年11月20日フランコの死去とともにスペインは民主体制への道を
歩みはじめた。11月22日フアン・カルロス1世が即位。1977年には41年ぶりの総選挙が
行われた。一方,1978年末新憲法草案が国民投票で承認され1979年初め発効した。新憲
法に基づき全国が17の自治州に分けられている。自治の範囲は州によって異なるが,⇒
カタルニャと⇒バスクには最大の自治が認められた。しかし,バスクでは〈バスク祖国
と自由〉が活動しており,完全独立を標榜ひょうぼうするテロが跡を断たない。
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