はじめに 1)バルセロナへ 2)バルセロナ〜バレンシア(シッチェス) 3)バレンシア〜グラナダ 4)グラナダ(アルハンブラ宮殿)〜コスタ・デ・ソル(トレモノリス) 5)コスタ・デ・ソル〜ミハス〜セビリア(サンルーカルラマヨール) 6)セビリア〜コルドバ〜マドリッド 7)マドリッド〜セビリア 8)マドリッド〜トレド〜アランフェス 9)帰国
大分旅慣れてきたようだ。
夜中は雨が降っていたが、朝は何とか止んでいた。
◆07:00 起床
◆08:45 出発
09:00 レティーロ公園(旧王宮)、アルカラ門(マドリッドの象徴)を横目に…。
◆09:30〜10:45 プラド美術館(スペインの3大画家を中心に)
エル・グレコ:宗教画(原色、特有の人体表現、天の描き方に優れる)
ベラスケス:ラスメニナス、グレダの開城等
ゴヤ:(裸の,着衣の)マハ カルロスIV世一家 黒のシリーズ 1808.05.02&03
◆11:00〜11:30 買い物
セゴビアでの道歩きが心配だったので靴(カンペール)を買おうと思ったが気に入った色がなくやめた。晴れてきたので今の靴でも、セゴビア散策も何とかなるかもしれない。
◆11:45〜12:30 国立ソフィア王立芸術センター
もともと18世紀は病院だった建物。
ピカソ:ゲルニカ(エピソードとスケッチ各種、ドラマールの8枚の写真等)
アトーチャ駅を見ながら日本食レストラン「大吉」へ。
◆12:58 昼食:大吉(弁当形式の和食)
オーナーが吉田という。そこから「大吉」になったらしい。
これは店を出る時、店で働いていた女性YHさんとの立ち話しでの話し。私のブログのタイトルだけ教えたけどどうしたかな(^_^;)?
◆13:30 セゴビアヘ(94Km、約1時間半)
グランビア通りからプリンセス通りを経て、13:55 西の玄関口。
このあたりから、ようやくGPSが衛星を捕捉することができたようだ。
#14:01 エルエスコリアル(車窓からは見えない)、カジノ、山の中腹に立つ大きな十字架(高さ150m)=戦没者の谷(市民戦争の軍側について戦死した人々の慰霊)等の説明。
14:30 車の進行とともに、空模様が急に怪しくなってきた。高度が高くなっているせいか(1250m)。直後に長いトンネルに入る。
14:37 トンネルを抜け、下りになったと思ったら小雨が降ってきた。向こうの空が明るいのでそれに希望を託そう(その後すぐに天気は回復)。
14:45 高速道路を抜ける。周囲の地形もも随分緩やかになってきた。
14:50 遠方にゆるやかな起伏の平野地形が見えてきた。太陽の日差しも当たっている。 14:57 あと2Kmでセゴビア。
◆15:15 セゴビア(嬉しいことに晴れ間も見えてきた。)
水道橋 最高部で地上から30m弱。今でも水を流すことができるほど保全状態が良いとのこと。
サン・マルティン教会(ロマネスク様式)
カテドラル 貴婦人と呼ばれる優雅な姿。市庁舎とともにマヨール(大きなという意味)広場に面している。
アルカサル(王宮) 白雪姫の城のモデルになった城とのこと。
◆17:15 アルカサル最後の撮影(断崖に建つ風景)→ホテルへ
17:35 水平線の向こうに見える晴れ間が美しい。右半分は水平線、左半分は丘陵部。
17:38 いつの間にか高速道路に乗っていた。
同じ道を戻っているが、周囲は牧場。牛の放牧がされている。ところどころ、緑の中に岩がごろごろ露出している風景写真ではみたことがあるが、現実に見ると、岩盤の上の薄い表土の上に牧草が生えていることがわかる。
17:52 高速道路を降りる。ここまでは順調に来ているらしい。
18:09 ホテルまで30Kmほどか。周囲はもう暗くなりはじめ写真は難しくなってきた。車の流れは順調。
18:26 ホテルまで15Kmほどか、渋滞に入ったと思ったがそうでもなかった。
18:45 あと1.5Kmくらいで都心部の渋滞に入ってしまったようだ。
◆19:12 ホテル着
◆20:00 夕食:DUDUA(ポークチョップ)
◆21:00? 就寝
ホテル:アバマドリッド,マドリッド 208号室
*マドリード Madrid
スペインの首都。同国中央部,標高655mの高原にあり,マンサナレス川に臨む。同国の
政治・文化の中心地で,機械,化学肥料,繊維,食品,家具などの工業も行われる。7世紀創
建のサン・イシドロ聖堂,15世紀のサン・ペドロ教会,大学(1836年創立),⇒プラド美術館
などがある。イスラム軍の要塞として創建されたが,1083年レオン・カスティリャ王が
奪回し,14世紀にはカスティリャの中心地となった。1561年⇒フェリペ2世によりスペ
インの首都と定められた。1808年―1812年フランスに占領され,⇒スペイン内乱では共
和派の拠点であった。約293万3000人(1995)。
*セゴビア Segovia
スペイン中央部,カスティリャ・イ・レオン自治州の同名県の県都。マドリード北西65k
mにあり,繊維,製紙,皮革,ガラスなどの工業が行われる。ローマ時代の水道橋,16世紀
のゴシック式大聖堂がある。古代イベロ人の居住地で,ローマ時代に繁栄。8世紀イス
ラム教徒に征服されたが,1085年,アルフォンソ6世が奪回。約5万4600人(1995)。
*グレコ El Greco 〔1541〜1614〕
本名ドメニコス・テオトコプロスDom?nikos Theotokopoulos。スペインの画家。ギリシ
アのクレタ島に生まれ,エル・グレコ(ギリシア人の意)と通称された。1565年,ベネチア
に出て,⇒ティツィアーノや⇒ティントレットから大きな影響を受けた。1577年以後ス
ペインのトレドに定住し,その間⇒エル・エスコリアルの装飾も手がけた。時代的には
⇒マニエリスムに属するが,色彩,構図,着想などの点できわめて神秘的な特色に富んで
いる。代表作に《オルガス伯の埋葬》(1586年―1588年,トレド,サント・トメ聖堂蔵),
《ラオコーン》(1610年―1614年,ワシントン,ナショナル・ギャラリー蔵),《トレド風
景》(1600年ころ,ニューヨーク,メトロポリタン美術館蔵)などがある。
*ベラスケス Diego Rodr?guez de Silva y Vel?zquez 〔1599〜1660〕
17世紀スペイン・⇒バロックの代表的画家。セビリャに生まれ,2度のイタリア旅行のほ
かはマドリードで活動,フェリペ4世の宮廷画家を務めた。初期には⇒カラバッジョ風
の明暗のコントラストの強い写実的な作品が多いが,第1次イタリア旅行(1629年―163
1年)を境として色彩は明るく,タッチも軽妙となり,さらに第2次イタリア旅行(1649年
―1651年)以後大気や光の効果の表現に成功した。代表作に《ブレダの開城》(1634年
―1635年,プラド美術館蔵),《待女たち(ラス・メニナス)》(1656年,同美術館蔵),《鏡
を見るウェヌス》(1648年―1650年ころ,ロンドン,ナショナル・ギャラリー蔵),《青衣
の王女マルガリータ》(1659年,ウィーン,美術史博物館蔵)などがある。国王夫妻を描
くベラスケス自身や見物の人々を主題とした《待女たち》はその特異な絵画的構造に
よって後世の論議の的となった。中でも《言葉と物》(1966年)におけるミシェル・⇒フ
ーコーの詳細な分析が知られる。
*ゴヤ Francisco de Goya y Lucientes 〔1746〜1828〕
スペインの画家,版画家。サラゴサに近いフエンデトードス生れ。初めマドリードでタ
ピスリーの下絵を描いていたが,⇒メングスに認められ1789年カルロス4世の宮廷画家
となる。1824年フランスのボルドーに亡命し,客死。〈自然と⇒ベラスケスと⇒レンブ
ラント〉を師としつつ,現実の背後に漂うデモーニッシュなものをあばきだし,ナポレ
オン軍侵入が招いた殺戮さつりくの歴史を的確に描いた《1808年5月3日》(1814年,プ
ラド美術館蔵),エッチング集《戦争の惨禍》や妖麗ようれいな肉体描写を見せる《裸
のマハ》(1798年―1805年,プラド美術館蔵)などの傑作を残した。また肖像画や《ロス
・カプリーチョス(気まぐれ)》など一連のエッチングのカリカチュアを描くなど活動は
幅広い。1792年に聴覚を失ったが,逆に幻想豊かな戦慄せんりつすべき名品を生む要因
となった。
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