2日目:2006-11-03金(バルセロナ〜バレンシアへ) 晴

はじめに  1)バルセロナへ  2)バルセロナ〜バレンシア(シッチェス)  3)バレンシア〜グラナダ  4)グラナダ(アルハンブラ宮殿)〜コスタ・デ・ソル(トレモノリス)  5)コスタ・デ・ソル〜ミハス〜セビリア(サンルーカルラマヨール)  6)セビリア〜コルドバ〜マドリッド  7)マドリッド〜セビリア  8)マドリッド〜トレド〜アランフェス  9)帰国 

「風景画の部屋」へ
スペイン旅行の風景画

 

◆05:30 起床

 近くを散歩。地中海に出る。暗いが何となく印象がよさそう。もう一度7時に外に出て撮影。

 町に猫が多い。

 これは最初の写真

◆07:30 朝食

◆08:15 ホテル出発

◆09:00 モンジュイック(ユダヤの山の意)の丘

 バルセロナ・オリンピックの往事の施設群を見ながら展望台へ。そこから見る市内の景観は全体に茶系統で統一されており、サグラダ・ファミリアはまさにバルセロナのシンボルとしてその存在を際だたせていた。そこに新しいシンボルとなりつつあるのがジャン・ヌーベル設計の紡錘形のスカイラインを示すオフィスビルだが、市民からは「座薬」とも呼ばれているそうな。

 

◆09:45〜10:30 サグラダ・ファミリア

 途中、カサ・バトーリョ、カサ・ミラなどガウディの建築を見ながらサグラダ・ファミリアへ。

 ここは、やはり圧倒的な迫力。細部の不揃いな彫刻もなかなか良い。

 現在8本の塔であるが、今後さらに11本?が予定されているとのこと。いずれにしても、この中央の塔ができて初めてその全体像を感じられるようになるんだろう。寄付金と入館料で建設されているとのことであるが、もう建設費は間に合っているんではないかという噂もあるということだが、それはこちらはどうでも良いこと。それにしても集客力は大したものである。

 完成予想図

 

◆10:45〜11:30 グエル公園

 こちらはなかなか楽しい公園。もともとはガウディのスポンサー、エウセビオ・グエル氏の戸建て住宅地として開発された場所を公園化したもの。当初がどういう計画だったのか知らないが、今の空間はかなりの人々を集めていて、その眺望、人々の多様な居場所、人々の視線を集めるモニュメント的装置等、単なる公園として見てもなかなか魅力的だった。

◆11:55〜12:55 ピカソ美術館

 もともとは14世紀の貴族の館5軒を買い取って美術館にしたものらしい。周辺の環境はちょっとあやしげではあったが、中庭の空間はなかなか魅力的だった。

 ガイドさんのかなり独断的な説明がなかなか面白かった。彼女にかかるとピカソも老年時代は特にボロクソ(^_^)。

◆12:10〜13:40 TaxFreeShop(税金の還元は91ユーロ以上の商品価格対象)

 その時間を使って、近くのカテドラルを見に行ったが工事中のため下部はシートがかかっていた。しかし、周囲の広場の雰囲気はなかなかのものである。

 これは近くの街角の風景

◆14:00〜14:30 昼食:YETUAN7(カタルーニャ風タパス)

◆14:40 バレンシアへ出発(379Km、約5時間)

 郊外に出てしまうと日本の景観とあまり変わらなくなってしまう。ビル群に使われる色彩に赤系統が強くなるくらいだろうか。そうした単調な景観を眺めながらしばらく走っているうちに、猛烈に睡魔が襲ってきた。日本時間では23:40である。

 ピカソ美術館あたりから、自分がどこにいるのか一瞬わからなくなる。私の頭の中では、スペインとメキシコを始めとする中南米のイメージが何故か極めて近いのである。

◆16:15 タラゴナ水道橋(これも世界遺産とか)

 高速道路途中、写真をとるだけのために停車。しかし、全体像は良くわからない。

◆16:45〜17:05 トイレ休憩

 せっかく時間がとれたのに岩ばかりの山で描く気になれず。

 出発後しばらくして霧雨が降ってきた(その後激しくはないがずっと雨)。

 バレンシア地方に入ると沿道の畑はオリーブからオレンジに変化してきた。

 17:53 もう周囲は暗い。18:00 日本時間では夜中の2時。バスの中は声を発する人はいない。皆寝入っているらしい。うとうとするが眠れない(^_^;)。

 20:00 高速を降りる。

 19:35 あと3〜4Kmの筈なのに渋滞に入ってしまった。金曜日の雨(もう止んでいる)だからか。もう着いていても良い時間だが‥。

◆20:00 ようやくホテル着

◆21:00頃 夕食 ホテル(チキン料理)

◆24:00 就寝

 

ホテル;エキスポ,バレンシア 401号室

続き 


*バルセロナ Barcelona

スペイン北東部のカタルニャ自治州の州都,地中海岸の港市。同国第1の商工業都市で

,マドリードに次ぐ大都市。航空機,機械,化学などの工業が盛ん。4世紀の教会遺跡,1

3世紀の聖堂,大学(1450年創立),考古学博物館,A.⇒ガウディの⇒サグラダ・ファミリア

教会(未完)などがある。古代ギリシアの植民市で,カルタゴ,ローマの支配下では港と

して繁栄。718年イスラム軍に占領されたが,9世紀初めキリスト教徒が奪回,フランク

王国の支配下に入ったが,9世紀末その影響を排除して,以後バルセロナ伯国として独立

,12世紀半ばアラゴンと連合王国を形成した。19世紀以降は商工業の発展とともに労働

運動も活発となり,⇒スペイン内乱では共和派最後の拠点であった。1992年のオリンピ

ック開催地。約163万7000人(1995)。

・バルセロナでは、2006年1月条例制定(バス車内での禁煙、飲食の禁止などとのこと)。

 

*ガウディ Antonio Gaudy Cornet〔1852〜1926〕

スペインの建築家。バルセロナで活躍。カタルニャ独自の建築技術やイスラム風の装

飾性などいくつもの要素が混じりあい,植物を連想させる装飾モティーフや有機的曲線

・曲面を多用した作品は,機能主義全盛の風潮のなかでは異端視されてきたが,今日その

独自性が再評価されている。代表作に⇒サグラダ・ファミリア教会(1882年―),グエル

公園(1900年―1914年),カサ・ミラ(1906年―1910年)などがある。

 

*サグラダ・ファミリア教会

スペインの建築家⇒ガウディが⇒バルセロナに残した未完の教会堂建築。〈⇒聖家族

(サグラダ・ファミリアSagrada Familia)〉に捧げる贖罪しょくざい教会として,ネオ・

ゴシック様式により1882年に着工され,ガウディはその死去の1926年まで設計施工にあ

たったが,完成されたのは地下祭室と東側の〈キリスト降誕のファサード〉のみ。彼の

残した構想に従って建設が続行されており,完成すると95m×45mのラテン十字プラン上

に高さ170mの塔を含む19塔が林立する大聖堂となる。

 

*ピカソ Pablo Ruiz y Picasso 〔1881〜1973〕

スペインの画家。めまぐるしい様式の変化をくり返したことから〈変貌の画家〉と呼

ばれる。アンダルシア地方のマラガ生れ。1901年パリに出,⇒ロートレックの影響下に

貧しい人びとの生活を青い色調で描く〈青の時代〉を皮切りに,1905年のオランダ旅行

後〈ばら色の時代〉に移った。のちアフリカの黒人彫刻の造形に興味をもち,1907年《

アビニョンの娘たち》を描いて⇒キュビスムを創始。1920年前後に一時古典的写実に

戻ったが,1925年ごろ⇒シュルレアリスムの影響を受け,特異なデフォルメによる彫塑

的表現を試みる〈メタモルフォーズの時代〉に入る。以後各種の表現方法を取り入れ

て自由な造形に進んだ。1937年には反戦的大作《⇒ゲルニカ》を発表,パリのレジスタ

ンス運動の闘士と交わり,戦後共産党に入党。次いでニースに近いアンティーブで,軽

い筆触により《笛を吹く牧神》等を描く。石版画,彫刻,陶器等も制作。最晩年には大

量の〈画家とモデル〉の連作を描いた。20世紀美術を代表する一人として,与えた影響

はきわめて大きい。

 

 

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