0)はじめに 1)成田〜ミラノ 2)ミラノ 3)ベネツィア・ラヴェンナ 4)ピサ・フィレンツェ 5)サンジミニャーノ・シエナ 6)マテーラ(・アルベロベッロ) 7)アルベロベッロ 8)タオルミーナ 9)アグリジェント・モンレアーレ・パレルモ 10)カプリ島・(ナポリ・)ポンペイ 11)ヴァチカン・ローマ 12)帰国 13)あとがき
■2日目:2007年5月17日(木) 曇り(最高気温26度)
・06:00 起床周辺を散歩するも特に魅力ポイントなし。
・07:00 朝食・荷物出し
・08:00 ホテル出発
渋滞の中を進む。
イタリア人は、殆ど朝食をゆっくり座って食べるなんでことはしないらしい。菓子パンとミルクたっぷりのコーヒーを一杯。また、食事中は、特別熱いもの、冷たい物は飲む習慣がないとのこと。
喫茶店も基本的には立ち飲み。座るとウェイター対応となり料金は3倍。
防犯対策の一つとして、うかつに財布を出さないことが重要。小銭をポケットに入れた方が良い。
イタリアの3つの警察組織について説明(交通警察と治安警察2)。
【ミラノ(*1)市内観光】
主要な場所については、地図(地球の歩き方より)とその時のGPSデータを見られるようにしておきますね。
◆09:00〜10:45 ドゥオモ(*2)〜◆ガレリア〜◆スカラ座(*3)
ドゥオモは下半分が工事中。修復が必要な施設ばかりだから、この後もあちこちで工事中の施設を見かけることになる。
ガレリアでのお勧めはマルキーノ(コーヒー)。特にこの店がうまいらしい。
あとはスカラ座前広場で時間を過ごす。
◆11:00〜11:30 スフォルツェスコ(ミラノ城)
残念ながら、メモリー節約のため削除したデータの中に真正面の塔の写真があったようだ。
上は、正門脇の砦と裏門を出た見返りの写真。中央に見えるのが、正面の塔の先端部分。これは裏手に広がる景観。凱旋門がアイストップになっている。
◆11:47〜12:45 昼食:ピッツァの店(ZIGARO) ☆022
ピアッツァと子牛肉のミラノ風カツレツ。味は悪くないが、か言って特別お薦めというわけでもない。
特に、日本人顔の女店員がやけにピリピリモードで感じが悪かった(後で聞いたら中国系だった。何となくホッとしてしまう)。
昼食後は快晴に。
◆13:00〜13:30 免税店 SEDRA ☆023
ピレネービルの近くだった。ここでスケッチ1枚。
【ミラノからベローナへ(170Km、約2時間30分)】
・13:36 ミラノ中央駅を過ぎて高速に乗る。
・14:35 途中いつの間にか少し寝たらしい。バスは田園地帯を走っている。反対車線は順調だが、こちらの車線はノロノロ運転になっている。
・14:48 川を渡るところで絶好の景観を逃してしまった。悔しい。このあたりで塔を持つ小集落をいくつも遠望する。後で考えてみれば、教会もかなりあったのかもしれない。それにしても昔と比べ、沿道に工場が増えたに違いない。随分撮影の邪魔をされた。
・15:39 それにしても今も全くのノロノロ運転というか止まっているというか‥(^_^;)。ミラノからベローナまで2時間ということだったがまだ60Km以上残している。片側4車線あるのに、うち1車線を反対車線として使っている。どこかで工事をしているのだろうが‥。と思ったら、交通情報ではこの先の事故で8Kmの渋滞にはまっているのだとか‥。
・16:06 突然スムーズに流れ出した。イタリアでは事故はいつもこうなのか?同時に工場地帯も抜け出たようで景観が一変した。
・16:48 ようやく高速を降りた。
糸杉の話し、笠松の話し。
【ベローナ(*4)観光】
・ベローナを流れるアデジェ川はイタリア第2の川。
・17:00 ベローナに入る。
ヴェローナは、シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」の舞台となった都市。
しかし、シェイクスピアはここには一度も来たことがないらしい。他の人の作品を借りてシェイクスピア風にまとめ上げたというものらしく、現代なら盗作騒ぎになっていたかもしれない作品だとのことです。ここは、何年か前にイタリアに来た時、ミラノ、ベネツィアとともに訪れた思い出の場所でもある。
期待は結構大きかったのだが、当時よりはるかに観光化されているようで、人出も遥かに多い。街の整備も進んでいてちょっとこぎれいになりすぎ。もう少しひなびた雰囲気が欲しい。ちょっとガッカリかな?。でも小さな都市は、こじんまりとした良い雰囲気があり好きである。しかし、ここで大問題が…。デジカメのCFカードからPCに移したと思ったデータが移されていなくて、それを知らないままCFからデータを削除してしまったのである。
あわてて、uneraseソフトを入れてuneraseしたのだが、データは生成されたものの、どうしてもベローナの写真を表示させることができない。 残念!以下の写真は、旅行に同行していたMさんのご好意で提供していただいたものです。
#Mさん、どうもありがとうございました。
都市のゲートから入ると、この広場「ブラ広場」が広がっています。
その正面の中央の通りがメイン通り。路地の先に、シニョウリア広場に面して立つランベルティの塔が見えます。
その右には地震のため最も外側の壁の壊れたアレーナが建っています。アレーナの右は市庁舎です。
ランベルティの塔を見上げたところ。 右は、ジュリエッタの家とそのバルコニー。
【ベローナから宿泊地メストレへ(120Km、約1時間45分)】
・18:10 予定より少し遅れて、ベローナの町を出る。
・18:39 高速に乗り、一路メストレへ。高度は40m。平均速度約92〜93Kmで順調に進む。
陽はまだ高い。日本の午後4時前の感覚だろうか?それにしてもこのくらいの陽射しが、私の感性にはしっくりくる。
・後はいかに多くの風景スナップを撮るかだけ。100枚のうち1枚でも使えそうなのが撮れればそれで良い。
もともと車上からの風景スナップ写真はむずかしい。まず、タイミング。構図になんかかまっていられない。そのタイミングを逃すとまず次がない。だから撮る対象を想定してズームを決めて置かなくてはならない。それがうまくいっても、看板や対向車線の車にされたり、あるいは併走する車線の車に邪魔されることもしばしば。
どんな風景も見逃さないでいようと思っているのだが、この後、睡魔に負けた(^_^.)。こんな風景が続く
・イタリアの4大カフェの話し。ベネツィア:カフェ・フロリア(1720年創業)、ローマ:カフェ・グレコ(1760年創業)など。
・19:46 高速を降りる。
・ベネツィア観光の案内。
◆メストレ(宿泊地)
・19:54〜20:16 明日のベニツィア観光のための税金の支払い、一時停車。結構時間がかかった。
#イタリアでは、様々な都市で観光バスに対して観光税をかけるようになってきているとのこと。
これはホテル近くの水路
・20:30 ホテル到着。
◆手荷物を置いてすぐ夕飯。「野菜スープと白身魚のフライ」
・21:30 入室。
・23:00 就寝。
◆ホテル・アレキサンダー ☆024
TEL 041-5318288 FAX 041-5318283
・昨夜のホテルより貧相だが、設備は比較的良い。空調の音がちょっと大きすぎるが‥。 100Vと200Vの切替が出来るコンセントがあることを初めて知った。
*1:ミラノ Milano
イタリア北部,ロンバルディア州の州都。ポー平原北西部,イタリア第1の商業・金融・工
業都市。周辺の都市を合わせて大都市圏を形成し,圏内人口は300万に達する。⇒ミラ
ノ大聖堂を中心に放射状道路網と環状道路網を備えた都市。第2次大戦で爆撃を受けた
ため,都心部の再開発と郊外の整備が行われた。レオナルド・ダ・ビンチの《最後の晩餐》
のあるサンタ・マリア・デレ・グラーツィエ教会,サンタンブロージョ教会(4世紀創建),
ブレラ美術館,⇒スカラ座,ミラノ大学などがある。起源はケルト人の都市で,前222年
ローマに征服され,ローマ帝国西半の中心地となった。ランゴバルド王国時代は没落
したが11世紀に自治都市となり,13世紀末には⇒ビスコンティ家,15世紀半ばから⇒ス
フォルツァ家のミラノ公国の中心として強盛を誇った。その後公国は16世紀半ばから
スペイン王家,オーストリアの手に移り,1796年ナポレオンによって姿を消した。再び
オーストリアの支配を経て1860年イタリアに統合。133万4171人(1994)。
*2:ミラノ大聖堂
イタリア,ミラノにある後期ゴシック様式の大聖堂。Duomo,Milano。1386年着工,1813年
完成。長さ約150m,正面幅約60mに及ぶ5廊式建築で,規模の大きさでは⇒サン・ピエトロ
大聖堂に次いでイタリア第2。白大理石で造られ,多数の華麗な彫刻で飾られている。
*3:スカラ座 Teatro alla Scala
イタリアのミラノにあるオペラ界最高の殿堂。1778年開場。第2次世界大戦中(1943年)
空爆で焼失したが,1946年⇒トスカニーニ指揮のコンサートで再開。⇒ベリーニの
《ノルマ》,⇒ベルディの《⇒オテロ》や《ファルスタッフ》,⇒プッチーニの《⇒蝶々
夫人》などの数々のオペラがここで初演されている。収容人数は3600。1981年,当時の
音楽監督⇒アバドと共に初来日。管弦楽団,合唱団のほか,オペラ博物館,バレエ学校な
ども備えている。
*4:ベローナ Verona
イタリア北部,ベネト州の都市。⇒アディジェ川に臨み,ドイツとの交通の要地。⇒ポ
ー川農業地帯の中心地で,毎年国際農産物見本市が開かれる。ローマ時代の円形劇場
(夏に野外オペラ開催),ロマネスクの聖堂,サン・ゼノ教会などがある。ローマの重要な
軍事都市として始まり,フランクの支配を経て,12世紀に自治都市となり,13―14世紀ス
カラ家支配下に繁栄した。シェークスピアの《ロミオとジュリエット》はこの時代に
題材をとっている。1405年―1797年ベネチア共和国領,オーストリアの支配を経て186
6年イタリア王国に編入。25万6756人(1994)。
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