0)はじめに 1)成田〜ミラノ 2)ミラノ 3)ベネツィア・ラヴェンナ 4)ピサ・フィレンツェ 5)サンジミニャーノ・シエナ 6)マテーラ(・アルベロベッロ) 7)アルベロベッロ 8)タオルミーナ 9)アグリジェント・モンレアーレ・パレルモ 10)カプリ島・(ナポリ・)ポンペイ 11)ヴァチカン・ローマ 12)帰国 13)あとがき
■7日目:2007年5月22日(火) 快晴
・06:00 起床。・07:10 朝食。
・08:00 荷物出し。
【アルベロベッロ観光】
・ミンモ(ガイド)の案内で地区の観光。途中、赤い実をつけたサクランボ畑を通過。ウチワサボテンももうすぐ花が咲くところ。イチジクの木もあった。
・自由観光になってから、ブラブラ歩いていたら、(後で聞けば)親日で有名になっているというマリアおばさんにつかまって室内に招き入れられた。と思ったら、さらに台所や屋上のパノラマを見せてくれるという。誘われるままに屋上に上がり、下へ降りてきたと思ったら、そこが店。
仕方なく、案内のお礼(という程ではないが)小物を買って出てきた。人がいる辺りがマリアおばさんの店。
・帰り道、ガイドのミンモにも出会った。そこの店を経営しているという。もう集合時間も迫っていたので寄っている時間はなく、握手して別れた。
#早く言っておいてくれれば良いのに…。
【アルベロベッロからコセンツァ(290Km、約4時間半)】
・09:35 ホテル発。
・10:16 オリーブの畑がオレンジに変わってきたのかな?葉の色が全く違うので良くわかる。ツリーベルトとサップグリーンといった感じだろうか?(あまり追求しないで下さい(^_^;))
中にはたわわに実を付けている木もあるのだが、全く実が見えない木も…。どういう収穫の仕方をしているのか…。
路傍にはポピーやマーガレットのような花が咲き乱れている。美しい季節なんだろうと思う。
・10:28 広大な平野地域に入っている。
・10:41 しばらく道路工事の区間を走っていた。もう廃道になった区間にコンクリートながら趣のある橋があったりした。しかし、工事中の区間はあまり活発な動きが感じられない。サインにピスティッチとあった。
◆11:00〜11:15 トイレ休憩。5分スケッチ。 ☆042
・11:25 左手に海が見えてきた。夏は海水浴場になって、この道も大渋滞を起こすらしい。国鉄があるが単線なので皆車を使うらしい。この沿道にはところどころ昔の砦が残っている。海賊からの防御のためだったらしい。
・12:07 しばらく右手にあった異形の山がはるか遠くなったところで、これから内陸へ。風がなく、数本の煙がまっすぐ上に上っている。
・12:30 ここで幹線道路(無料)に合流し、昼食の予定地コセンツァへ。
◆13:00〜13:53 カラブリア州コセンツァ(CALAVRISELLA)にて昼食:野菜スープ、チーズの牛肉巻き、フルーツ。 ☆043
この店はパスタがお薦めとのこと。しかし、このメニューもなかなかのもの。
【コセンツァからヴィラサンジョバンニへ(180Km、約2時間半)】
・店を出て、また高速道路へ。いつの間にか曇り空になっている。
・14:23 今は大きな谷に沿って走っている。対岸の丘の上には屋敷が散在し、その一部には小さな城壁のようなものも見える。
・14:25 正面下方に海が見えてきた。その前面に集合住宅群が見える。ここは一段高い丘になっているようである。しかし、こちらも徐々に高度を下げていき、右手に海を見ながら海岸線を走っている。徐々に空も晴れ間を見せている。
・15:11 しばらくウトウトしていた。空は大分晴れてきていて、陽射しも強くなっているようだ。いつの間にか車は丘陵部を走っている。周囲の畑はオレンジが主体のようであるが必ずしもそればかりではない。右手の丘にはまだ新しいオリーブ畑も見えていた。
◆ヴィラサンジョバンニ
・15:25 フェリー港ヴィラサンジョバンニまで50Km足らずとなってきた。車内は皆眠りこけている。
・橋梁と道路工事の現場にさしかかった。しかしここも閑散としている。こんなことでいつ工事を終えるつもりなんだろう?そんな感じである。
15:39 ここのトンネル工事現場で、ようやく現場らしさを感じることが出来た(^.^;。
・15:42 右手にシチリア島が見えてきた。もうすぐフェリー港だというのに、ここは海面から数百mの高さで橋とトンネルの繰り返しである。トンネルを抜けた眼下の風景がすばらしい。
・15:58 随分低いところに来てしまった。対岸のシチリア島がハッキリ見えてきたが何だかありきたりの風景になっってきた。
・16:00〜16:13 休憩。
・この州がイタリアで最も貧しい州だとか。この7Kmの海峡に橋を架けるという話しはこれまでもあったようだがなかなか進まない。また橋が架かればここの人々は職を失うことになってしまう。
日本では四国に3本も橋を架けているが、そんな無駄なことをするより、このままで良いから、もっと別の方法で地域の活性化策を考えるべきだろうと思う。
【ビラサンジョバンニからメッシーナ(フェリーにて15分ほどの短い船旅)】
◆ヴィラサンジョバンニ
・16:31 いよいよフェリーに乗り込むらしい。バスが他の車とともに動き出し、船に乗り込んだ。
・16:40 船出。たった15分の船旅。
◆メッシーナ
いよいよシチリア島(*1)というわけだが、ここのシンボル・サインは、「太陽の顔に三本足」これは三角形のシチリア島をシンボル化したものらしい。足にもいろいろの意味が込められているらしい。
・17:55 メッシーナに到着。
【メッシーナからジャルディーニナクソスへ(50Km、約1時間)】
・17:08 交通事故現場に遭遇。トレーラーが右折しようとしたところへ乗用車が入ろうとして挟まれてしまった。事故はこの旅で(今日で)2回目。1回目は、先ほどの高速道路では玉突事故。
・17:24 しばらく市内を走るが、やはりどことなく貧しさを感じてしまうのは、事前にそんな説明をされていたからかもしれない。ここから高速道路(有料)に上がる。
・17:27 左手にイタリア本土が見える。周囲の山はなかなか複雑な起伏を連ねている。この高速道路も短いトンネルが頻繁である。
こんな地形の厳しさもシチリアの貧しさの一因となっているように思われる。
・17:51 タオルミーナが見えてきた。しかし本日はそこまで行く予定はない。
・17:55 タオルミーナの下のトンネルを2つ過ぎると正面にエトナ山が初めて見えてくる。予想外に大きい。高さ3400mほどだとか。
◆ジャルディーニナクソス
・18:04 ホテル到着。
ここはリゾート地らしく、ホテルも広いバルコニーを持ったもので何となくアメリカ的な雰囲気がした。同じ時に泊まったアメリカ人は3日ほど滞在するらしい。
ホテルの設備も充実しており、特にLAN端子があったのはアルベロベッロに次いで2軒目である(結局、これ以後はなかった)。
夜、近くのスーパーで買い物。水まで買ってしまった。
◆夕食:カジキマグロ(詳細は忘れてしまった。)
◆ホテル
シーザーパレス TEL 0942-5590 FAX 0942-559595 ☆046
ホテルから見るエトナ山とホテルのプール回りの様子。
*1:シチリア[島] Sicilia英語ではシシリーSicily。イタリア南端,アフリカとの間にある地中海最大の島。狭い
メッシナ海峡を隔ててイタリア本土と対するイタリアの一州。⇒アペニノ山脈の延長
部で,波状丘陵をなし,北東部にネブロディ山脈がある。東岸中央部,カタニア付近に平
野が開け,その北に⇒エトナ山がそびえる。典型的な地中海式気候で沿岸部ではブドウ
,オリーブ,オレンジ,レモンの栽培が行われる。硫黄,石油の産出もある。内陸部は大
土地所有が支配的で穀作と牧羊が行われる。大借地人層が土地の管理と治安の維持に
あたったため,⇒マフィアが出現する要因となったと考えられる。19世紀末から第1次
世界大戦までの間に100万を超す移民が米国へ渡り,1950年代後半からは大量の北イタ
リアへの移民が生じた。政府の種々の改善策にもかかわらずシチリア経済は困難から
脱出していない。自然の景観に恵まれ,歴史的遺産も多く,近年は観光地化が進展して
いる。名は先住民であるシケロス人に由来し,古代フェニキア人の貿易拠点であったが
,前8世紀ころギリシア人が植民市を建設。次いでカルタゴ,ローマ,ビザンティン,イス
ラム勢力などの支配を経て,12世紀に⇒シチリア王国が成立。1282年から1860年に⇒ガ
リバルディの千人隊に解放されるまで主にスペインのアラゴン王家,ブルボン王家の支
配下にあった。1861年イタリア王国に併合。州都⇒パレルモ。2万5709km2。502万52
80人(1993)。
*2:シチリア王国
中世,南イタリアの⇒シチリア島を中心とした王国。1130年対立教皇アナクレトゥス2
世がノルマン人のシチリア伯ルッジェーロ2世に,教皇援助の代償として王号を許した
のが起源。ノルマン,イスラム,ビザンティンの3要素が共存した。その後神聖ローマ皇
帝領,アンジュー伯領となったが,1282年⇒シチリアの晩鐘の乱後⇒ナポリ王国,トリナ
クリア王国に分裂。結局1815年スペイン系ブルボン家が再統一。⇒両シチリア王国
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||