■イタリア旅行 イタリア縦断とシチリア島の旅13日間(2007年5月16日〜5月28日)

0)はじめに  1)成田〜ミラノ  2)ミラノ  3)ベネツィア・ラヴェンナ  4)ピサ・フィレンツェ  5)サンジミニャーノ・シエナ  6)マテーラ(・アルベロベッロ)  7)アルベロベッロ  8)タオルミーナ  9)アグリジェント・モンレアーレ・パレルモ  10)カプリ島・(ナポリ・)ポンペイ  11)ヴァチカン・ローマ  12)帰国  13)あとがき 

「風景画の部屋」へ

■3日目:2007年5月18日(金) 快晴

・06:00 起床。

 周辺を散歩。ヨットが繋留されたなかなか良い風景があった。昨夜、気になっていたところである。

  

・07:15 食事。

・08:15 出発。

 トラメツィーノ(ベネツィアのサンドウィッチ)が有名。

 

【ベネツィア(*1)観光】

  

 ここも、以前イタリアに来た時に2日間ほど散策している懐かしい場所。

・(乗船のための待ち合わせ広場である)ローマ広場に到着。

・09:00 ここから船に乗ってサンマルコ広場到着。

  

◆09:30〜10:00 ゴンドラ周遊(後で行程を見たらサンマルコ広場周辺のみ。まあこれは仕方ない。)。

  

  

 

◆10:30〜11:00 約40分ほど待って、サンマルコ寺院(*2)内部見学

 内部は撮影禁止。

  

◆11:15〜12:00 ガラス工房(ラグーナ・ムラノ)見学とショッピング

 店を早めに出て、その下の広場でスケッチ。

 

  

◆12:00〜13:00 昼食(ア・ラ・バリージャ(A LA VALIGIA)):イカスミパスタとエビとイカのフライ。

・13:15 帰るための船の発着所。 ☆025

  

・13:37 ローマ広場に到着。

 イタリアではトイレは殆ど有料(通常は30から50セント。ベネツィアでは全てが高く1ユーロ)。それなのに、便座がなかったりしているのも当たり前。しかも全体としてトイレの箇所数も少ないので、トイレが必要なら、カフェやレストラン等に入るとかショップで何かを買いながら使わせてもらうしかない。

 

【ベネツィアからラベンナ(150Km、約3時間)】

・14:50頃出発。

 ポルトガルツアーのお薦め。190日/年旅行をしている夫婦の話し。

 添乗員さん自身の仕事暦(何故添乗員になったか?という話し)など。

・14:21 農村地帯(かなりの田舎)を走る。この左側には海が近いはずだが、殆ど見えない。

 ラベンナの概略の説明(今回の観光の主な目的:モザイクのオリジナルを見に行く)

・14:42 湿地帯のような景観。すぐに海上の道を走る。左にアドリア海。

・14:46 この後やや内陸の道を走る。特に変わりばえしない田舎の道。

・15:52 右手に水面が見える。ここは湖か、気水湖か、湾なのか。いずれにしても、もうすぐラヴェンナになる。このあたりは大田園風景だがあまり豊かさは感じられない。時たまスナップショットを狙うが、あまり期待できない風景ばかり。

・16:04 ボローニャへの分岐サインが見えた。そういえば、本当はそこにも行ってみたかったんだが…。

 

【ラヴェンナ(*3)観光(西ローマ帝国の首都)】

  

・16:30 ラヴェンナ着。

 ラヴェンナ観光とは言っても、実質的にはモザイク壁画で有名なサン・ヴィターレ教会(写真右上、*4)と、さらに古い時代のモザイク壁画を持つガッラ・プラチーディア廟(写真右下)の観光。

 前者は、後に建設された国立博物館(写真左上)と殆ど一体となって興味深い空間を創り出している。

 同一敷地内にあり、なかなか良い佇まいを持っている。

   

  

【ラヴェンナからプラト(宿泊地)へ(182Km、約2時間半)】。

・17:50 ラヴェンナ出発。

 フィレンツェまで200Kmほどらしいが、高速道路なので2時間ちょっとの予定。途中、ボローニャ〜フィレンツェ間を走るが、この間が、イタリアで最も混雑する区間。その状況により到着時間が変わる。

・18:11 デジカメの電池が切れた。でももう1台持ってきている。良かった。

・18:55 今まで少し寝た。30分くらいか。

 突然、USBコードを忘れたかも…と思った。これを忘れていると。GPSのデータや地図がフィレンツェまでのものしか使えないことになってしまうのだ。しかし、充電器セットの部品が、USBコードを兼用するようなものだった。うまく行けばこれで大丈夫。 そんな確認をしていたら、GPSが「ピッ」と音を発した。見たら電池交換のメッセージ。もちろん電池の予備は十分なのですぐに交換。衛星の捕捉はすぐにできたが、今度は地図が表示されない。おかしいなぁと思ったら、用意してきた地図の範囲外を走っている。添乗員の説明が流れ「今はボローニャに入っています。これから山脈を越えてフィレンツェに行きます。」とのこと。準備してきた地図は、GPSのメモリーを節約するためだったのだが、絞り込み過ぎたようだ。調べてみたら、三角形の2辺のルートを選択している。このルートになるとは予想しなかった。

#ちなみに、この旅行中、GPSのデータの入れ替えは3回。デジイチのメモリーは6Gbのマイクロドライブを使用しているが、データのPCへの移行は2回必要になると考えている。電池は、台湾の経験からもう1日は持つと思っていたのだが、これはちょっと誤算。いずれにしてもモバイル機器の管理はいつもヒヤヒヤである。

・19:19 今、長いトンネル。

・19:24 その後。立て続けに3つのトンネル。

 この山脈は、結構複雑な地形をしているらしい。車窓から見る景観は、山脈と言うより日本で言えば高原的な地形で、ところどころ研究施設のようなものも見える。結構美しい風景である。

 

・19:37 ところでこんな時間なのに、外はまだまだ明るい。まだしばらくは太陽ももちそうだ。

・19:55 GPSは、ようやく用意していた地図の範囲に戻ってきた。ということは目的地に大分近づいているということ。しかし相変わらず周囲には太陽の光を感じられる。こうなると、目的地への到着(あと10Kmちょっとということはわかったが)と太陽が沈むのとどちらが早いか、そんなところかな?

・20:05 渋滞になってきた。太陽ももうすぐ完全に沈みそうだから、こりゃ太陽の方が早そうだ。バスの中の人々もそろそろ目覚める頃かな?

・トスカーナ州は、オリーブや糸杉が有名だが、オリーブの主生産地は南部にある。

・20:23 フィレンツェが見えてきた。ここは360度山に囲まれた盆地。

 

◆20:30〜21:30 夕食(ホテルフローレンスのレストラン):きのこのリゾット。ポークのステーキ風。ソアベ(シャーベット)
 ☆026

#添乗員のメモではホテル・デルタとあった。

 リゾットは芯があるのがイタリア風。パンもあるがトスカーナ州のパンは塩を使わないので、日本人にはひと味不足だとか。しかし、いずれも私にはおいしかった。

・キャンティ・ワインが有名。3種ある中でもキャンティ・クラシコが最も高品質で高価だとか。

 

・21:58 ホテル着 ☆027

◆ホテル

 ダティニ(DATINI)

 TEL 0574-562348 FAX 0574-527976

 なかなか充実したホテル。

 部屋が広い(スーツケースが十分広げられる)。ベッドはダブル。浴室も良い。食事もうまい。

続く 


*1:ベネチア Venezia

イタリア北部,ベネト州の州都。英語ではベニスVenice。ベネチア湾に臨む港市で,11

7の島からなり,本土とは鉄道橋と自動車橋で結ばれる。大運河を中心に運河が縦横に

走り,⇒リアルト橋をはじめ約400の橋で各島が結ばれ,交通は水上バスやゴンドラ,モ

ーターボートで,車は進入できない。伝統的にはレース,宝石細工,ガラス器,陶器の製

造が盛んだが,現在は本土側のマルゲーラ地区に石油化学,重工業地区が形成されてい

る。1966年の大水害を機に,保存問題が大きな課題となっている。⇒サン・マルコ大聖

堂,サン・マルコ広場,パラッツォ・ドゥカーレ,海洋研究所,国立記録保管所などがある

。町の起源は5―6世紀で,9世紀初め,フランクの脅威をさけて本格的な町づくりが開始

され,サン・マルコを守護聖人とした。10世紀後半以降,東地中海貿易,十字軍遠征によ

り発展し,13―15世紀が全盛期でオリエントと西欧を結ぶ重要都市であった。1897年に

ナポレオンに占領されるまでの1000年間,共和制を堅持し〈アドリア海の女王〉と讃え

られる都市文化を築いた。その後オーストリア支配を経て,1866年イタリア王国に編入

された。30万6439人(1994)。

*2:サン・マルコ大聖堂

イタリア,ベネチアにあるビザンティン様式の大聖堂。Basilica di San Marco。11世

紀末に建立。ギリシア十字プランで,中央部と四つの枝にそれぞれ大ドームをのせ,内

部はモザイクと大理石で装飾される。葱花そうか形アーチのあるファサードは13―15

世紀の作。内陣の有名な祭壇《パラ・ドーロ》は976年にコンスタンティノポリスで作

られたもので,貴金属工芸のすぐれた装飾で有名。

*3:ラベンナ Ravenna

イタリア中部エミリア・ロマーニャ州の都市。ボローニャの東約70km,アドリア海岸か

ら約10kmにある。農産物の集散・加工地で,精油業も行われ,付近で天然ガスを産出。4

02年に西ローマ帝国の首都。540年にはビザンティン帝国の主要都市となる。大聖堂洗

礼堂,アリウス派洗礼堂,⇒サン・ビターレ教会など5―6世紀の教会建築が多く残り,優

れたモザイク装飾が見られる。⇒ダンテの墓がある。13万3604人(1994)。

*4:サン・ビターレ教会

イタリアのラベンナにある集中式プランの教会堂。San Vitale。ドームをもつ八角堂

で,536年―547年に建立された。内部の⇒ユスティニアヌス1世と⇒テオドラ妃や旧約

聖書の場面を描いた華麗なモザイクはビザンティン美術の代表的作品として知られる。

 

 

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