■イタリア旅行 イタリア縦断とシチリア島の旅13日間(2007年5月16日〜5月28日)

0)はじめに  1)成田〜ミラノ  2)ミラノ  3)ベネツィア・ラヴェンナ  4)ピサ・フィレンツェ  5)サンジミニャーノ・シエナ  6)マテーラ(・アルベロベッロ)  7)アルベロベッロ  8)タオルミーナ  9)アグリジェント・モンレアーレ・パレルモ  10)カプリ島・(ナポリ・)ポンペイ  11)ヴァチカン・ローマ  12)帰国  13)あとがき 

「風景画の部屋」へ

■9日目:2007年5月24日(木) 快晴

・07:00 起床。

・08:00 食事・荷物出し。

・08:50 ホテル出発。

 

【アグリジェント観光】

  

・アグリジェントは、BC5、6Cには30万人の人口だったとか。今は6万人

・ 9:01 ガイドのシモーネと合流。 ☆057

・ 9:02 右手にローマ時代の住居の遺跡。

・09:20 バスを降りる ☆056(昨日と同様ヘラの神殿前)。

 ヘラ、コンコルディア、ヘラクレス、ゼウスの神殿の各神殿を歩いて回る。

  

  

 これらの遺跡は連続した丘の上にあり、旧市街や見通しが良い日には地中海を通してアフリカ大陸が見えるらしい。最も重要なのが、一度も崩れ落ちることなく原型を留めているコンコルディア。

 今は、殆ど廃墟となっている(材料を他に持ち出されているために再建ができない)ゼウスの神殿のあちこちに咲いていたポピーの赤い花が印象的だった。

  

 バス待ちの間にスケッチ。

 

【アグリジェントからモンレアーレへ(135Km、約2時間)】

・10:40 バスに乗る。

 ここから自動車専用道(ということらしい)だが片道1車線道路。

・10:50 昨日の道から分岐して、モンレアーレ(パレルモの郊外)に向かう道に入る。

・11:10 田園地帯を走っている。美しい風景だが、地形は複雑であり、時々廃墟となっている家もある。牧畜が主体だと思われるが生活の豊かさはあまり感じられない。

・11:31 ようやく町らしくなってきたが、すぐにそこを通過。イタリアでは日本のようにだらだらと中途半端な街が続くことは殆どない。都市か農村か、である。

・11:45 しばらく雄大な風景の田園地域が続いている。絵にはなりにくいが、何枚も写真を撮ってしまっている。(今日は200LXの調子がよい。この2日ほどの不調は何だったんだろう。)

 そういえば、近づいている筈なのにエトナ山が見えない。

・12:01 また次の町に入った。(この旅では、GPSのマップデータをパソコンから移せないので何という町かわからない。)

・12:11 前方に海が見えて来た。左にパレルモが見える。しかし全体的に霞んでいる。

・12:16 右手にパレルモの町(人口80万人:シチリアの州都)。

・12:23 左がモンレアーレの丘になる。

・12:30頃駐車。 ☆059

 バスを降りてしばらく歩いて昼食のレストランへ。

◆13:00〜13:58 昼食(DIETRO L'ANGOLO):カポナータ(ナス料理)、ピッツァ、カンノーロ(シチリアのお菓子)。 ☆060

 

【モンレアーレ観光】

 パレルモ郊外にあたるので、地図やGPSは省略します。

◆14:10 ドゥオモ。 ☆061

 見事なモザイク。屋根だけは火事のため後に再建されたが、それ以外はオリジナルのまま。

  

   

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<以下はGPSデータを見ながら修正>

 事前の勉強不足のため、この日は特に、どこを案内されているのかわからないままパレルモ市内を歩き回っていました。

 仕方なく、後でGPSの結果を確認しながらこの部分を整理しました。

  これが、パレルモ市内での移動軌跡です。

 

【パレルモ(*1)観光】

・15:00 出発(パレルモ市内へ)。

・15:20 旧市街にてバスを降りる。 ☆062

◆ベッリーニ広場・マルトラーナ教会。 ☆063

  

◆プレトーリア広場と恥ずかしい彫刻(恥ずかしげに手で身体を隠しているのでそう呼ばれるらしい。)

  

◆彫刻で飾られた四つ角(クアットロ・カンティ)

 

◆カテドラーレ。 ☆064

  

・16:07 バスに乗る。 ☆065

・16:12 バスを降りて新市街を散策。 ☆067(066欠番)

◆16:20頃 市場(Via Pta Carini)。 ☆068

 カメラを首から下げていたら、女店主が写真を撮って欲しいという。「どうせ後で消せば良いや」と、快く彼女の言うがまま2人の息子と一緒に撮って上げた。すると、ポートレイトとして送って欲しいと、店の名刺を渡されてしまった。彼女の指さすところを見ると、同じような写真が何枚も店の壁に飾られていた。似たような被害者がいるらしい(^.^;。削除できなくなってしまった(^_^.)。

  

◆16:30 マッシモ劇場。 ☆069 (国会のようなたてもの)

◆16:41 ミナシェンテ(ショッピング・センター)。 ☆070 以後自由行動

 自由行動。疲れて歩き回る気分にもなれず、ショッピングセンター角のベンチでスケッチ1枚。

 

・17:40 集合

◆17:50 カウテルヌオーヴォ広場とポリテアーマ劇場。 ☆071

 ジャカランダの薄紫の花が可愛らしい。

  
 中央の木(並木になっている)が、ジャカランダ。        

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<ここまで。>

◆18:00 夕食(LA POSADA):ボンゴレスパゲッティ(あさりのパスタ)、イカのフライとサラダ、オレンジ。 ☆072

・19:16 港へ。 ☆073

・19:36 ティレニア号乗船。途中、エスカレータが故障のためしばらく足止め。

・19:53 何とか部屋に入る。72号室

・20:25 出航。

 甲板に上って、港の様子を見る。

  

◆23:00 就寝(船中泊)

 船の中だから空間の狭さは仕方ないが、シャワー設備もありなかなか充実した部屋だったように思う。問題は、音や振動でしょうが…。

続く 

 


*1:パレルモ Palermo

イタリア南部,⇒シチリア島北西岸の港市。シチリア州の州都で,コンカ・ドーロと呼ば

れる肥沃な盆地に位置する商工業の中心地。鉄鋼,造船,化学,繊維などの工業が行われ

る。第2次大戦中に爆撃を受け,町は荒廃したが,12世紀の聖堂,バロック様式の教会,王

宮,大学(1777年創立)など歴史的建造物が多い。また1980年代から⇒マフィア関連の裁

判で注目されている。前8世紀フェニキア人により創建され,カルタゴ,ローマ,ビザン

ティンの支配下に港として繁栄。831年イスラム教徒の支配下に入り,一時は人口30万

を数えた。1072年ノルマンに占領された。のち⇒シチリア王国の首都となり,イスラム

文化と共存する地中海文明の中心地となった。1282年〈⇒シチリアの晩鐘〉と呼ばれ

る反乱が起き,19世紀に至るスペイン支配が始まった。69万4749人(1994)。

 

 

 

 

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